ワインエキスパートに教わるワイン入門

ラ・マンチャのぶどう栽培

イベリア半島全域に野生のヴィニフェラは自生していたのでしょうか?

概要

イベリア半島での野生ブドウ分布(過去-現在)

地域ブロック 主な現存ポケット 考古・歴史記録 フィロキセラ後の残存状況 土壌・気候の共通項
大西洋北岸(ガリシア〜バスク) エウロ川・ミーニョ川・カンタブリア山地渓谷 新石器〜中世の炭化種子・地名に多数 河畔林で点在。潮霧と高降水量が保湿 酸性沖積土,年降水 1500 mm 前後,年平均 12 ℃
内陸北東部(エブロ支流・ブルゴス北部) オハ川・ナンサ川・ドゥラン川渓谷 19世紀植物誌に“ラブルスカ”記載 小規模群が残存,交雑株増加 石灰質礫ローム,冬寒夏涼
中央・西部河川(ドゥエロ・タホ) 河畔生垣や旧氾濫面に孤立木 近世まで野生果採集の民俗記録 乾燥化と整備でほぼ消失 砂質〜粘質沖積土,年降水 500 mm 前後
南部アンダルシア グアダルキビール・ティント・オディエル流域の湿地林 19世紀探検記に広域分布を報告 94集団が1990-2013年に確認 石灰質フルビソル,夏乾冬温暖
ポルトガル沿岸〜内陸 ドウロ下流・テージョ下流・アレンテージョ潟湖周辺 青銅器〜ローマ期の種子・花粉 25か所以上で遺存個体群 砂礫沖積・石灰褐色土,年平均 15 ℃

海岸部と大河川沿いの湿潤・通気性に富む沖積土がコア生息域。中央メセタや南東部の半乾燥台地は化石花粉・種子証拠に乏しく,現時点の古植物学的資料からは古来より連続分布が成立しなかった可能性が高いと考えられている。

まとめ

  1. 野生 V. vinifera はイベリアでは 河畔・沿岸の砂礫沖積土と温暖湿潤な微気候を好み,中央高原の乾冷環境には本来的に乏しい。
  2. 後氷期温暖化で南西のレフュジアから河谷沿いに再拡散したが,分布は帯状で連続していなかった。
  3. フィロキセラと河川改修により内陸低地の大部分が消滅し,砂質氾濫原・砂丘林など排水良好で周期冠水するニッチが現在の主要残存地。
  4. ハンガリー・ティサ川やフランス・ローヌ川も同様に,排水不良の粘土低地→大幅枯死/砂質氾濫原→残存というコントラストが報告されている地域が多い。

イベリア半島中央高原はスペインでも有数のワイン産地ですが、いつ頃からぶどうが栽培されるようになったのでしょうか?

中央高原(メセタ)でのブドウ栽培開始の概略年表

時期 主な証拠・出来事 土壌・気候の特徴
前7世紀頃(先ローマ期) ラ・ビエンベニーダ遺跡(シウダッド・レアル県)からワイン消費痕跡。まだ栽培と断定できず。 玄武岩風化土・低丘陵。
前2〜前1世紀(共和政ローマ) ドゥエロ・タホ川流域のローマ別荘(villae rusticae)で石造圧搾槽・アンフォラ片出土。 石灰質赤色土(カリシコル)と沖積礫層。夏暑・冬寒の大陸性。
4世紀(ローマ末) バーニョス・デ・バルデアラドスの大型バッカスモザイク→当地でワイン醸造が定着。 ドゥエロ河岸テラスの粘土石灰質。
8〜11世紀(イスラム期) キリスト教側の文書などから,イスラム政権下でも一部でブドウ畑・ワイン生産が継続していた可能性を示唆する記録がある。 灌漑技術の導入により河谷の沖積層が集約的に開墾される。
12〜13世紀(レコンキスタ/再定住) アルフォンソ10世などカスティーリャ王が中央高原に町と修道院を新設。騎士団・シトー会がブドウ植栽を奨励。 高地の石灰質褐色土。寒暖差大。
15〜16世紀(ハプスブルク期) マンチャ産強酒がマドリード王宮に出荷され名声を獲得。 広大な平坦塩基土・乾燥害を回避する疎植栽培。
1932年 ガセタ・デ・マドリードに原産地呼称 La Mancha の名称が初めて公式に言及され,中央高原における先駆的な原産地呼称の一つとなる。 砂質優勢の赤色粘土、極端な大陸性気候。

栽培開始を後押しした環境・技術要因

年間降水量の 300-450 mm はブドウ栽培には少なく、根がちゃんと張るまで大変なのでは?
何故このような土地がスペイン有数のワイン産地になったのですか?

ご指摘の通り、中央高原(メセタ)でのブドウ栽培は「根が張るまでが非常に厳しい」という自然条件があります。
にもかかわらず、ラ・マンチャやバルデペーニャスを含むこの地域がスペイン最大のワイン産地となった理由は、地質・歴史・社会・経済が重なった結果です。

厳しい土地でも栽培できる「特性」があった

特性 内容 効果
深く耕せる土壌 メセタは石灰質の赤色粘土が多く、固いが深耕可能 1〜2 mの深さまで根を伸ばすことができる(根圏拡大)
冬季蓄水型の気候 降水の多くが冬と早春 → 土中にゆっくり浸透して貯留される 成長期には地下水を根が活用可能
乾燥への適応技術 伝統的に疎植(1,000〜1,500本/ha)・低樹高・耕起を抑えた栽培(必要最小限の耕起) 1本の木に広い水分吸収エリアを与える
風通しと日射 風が強く日照も多い → 病害が少ない 農薬が少なくて済み、健全果が得られる

歴史的・社会的要因:なぜこの地で拡大したか

  1. 中世以降の「ワイン政策」
    • 12〜13世紀 レコンキスタ後の再定住運動で、騎士団・修道会が新たな村を開き、水の乏しい高原地でも育つ作物としてブドウが推奨された。
    • 王権(カスティーリャ王国)はブドウを地代・税収の手段と位置づけ、ラ・マンチャを重点開発。
    • イスラム期の名残で灌漑インフラが残っており、果樹栽培も一部継続されていた。
  2. ハプスブルク期の都市需要と保護政策
    • 16世紀 マドリードが首都に指定されると、王宮や都市の膨大なワイン需要を内陸でまかなう必要が生まれた。
    • 輸送の便(台地上の道路)と安価な生産コストから、ラ・マンチャなどが供給地に。
    • 地元自治体が他地域からのワイン輸入を制限するなど産地保護が強化された。

経済・制度的要因(20世紀以降)

時期 内容
1932年 ガセタ・デ・マドリードで原産地呼称 La Mancha の最初の公式認定が行われ,スペインでも最初期の D.O. の一つとなる。広大なブドウ畑が制度上明確に位置づけられる。
1970〜80年代 ワインの大量生産・輸出を目指し、協同組合が主導して機械収穫・大量醸造設備を整備。ラ・マンチャが量的にも最大産地に。
2000年代〜現在 一部で高品質化の取り組みが進み、樹齢の高い Airén や Tempranillo を使った単一畑ワインも登場。

まとめ

ラ・マンチャのように雨量の少ない乾燥地で根が張り安定するまでの管理について教えてください。また、フィロキセラ後に台木を使うようになってからの変化は?

乾燥地であるラ・マンチャ(La Mancha)のような地域では、根が張り、ブドウ樹が安定して結実するまでの初期数年間の管理が特に重要です。加えて、フィロキセラ禍以降に導入された台木の使用によって、植え付け・生育・耐乾性の点で大きな変化が生じました。以下に整理して説明します。

乾燥地における初期定植管理(根が張るまで)

項目 管理内容 説明
時期の選定 晩秋または冬 土壌に十分な水分がある時期に定植。休眠期に根が初期成長しやすい。
深植え(Plantación profunda) 40〜60cmの穴に植え、接ぎ木部が地表すれすれになるように 地中の水分を効率的に吸収できるように。深植えで乾燥耐性を高める。
土壌整備 サブソイラーで60〜80 cmまで深耕 根の進展を妨げる硬盤(ハードパン)を除去し、水分保持性を高める。
仕立て・剪定の調整 最初の2〜3年は果房をつけず、樹勢に集中 地上部の負担を減らし、根系の充実を優先させる。
灌漑の可否 原則無灌漑(secano)だが、地域や年度の規則によっては初年度に限って点滴灌漑を行う例も 若木は水ストレスに弱く,一部地域では初年度のみ制限的灌漑が許可される。
植栽密度 低密度(例:1,200本/ha以下) 株間が広いことで根が広く張れる環境を確保。乾燥地に適した設計。

台木導入による変化(フィロキセラ後)

ラ・マンチャでの導入効果
項目 変化点・効果 説明
根系の構造 台木により深根性または広根性を選択可能 土壌タイプ(石灰質、乾燥、粘土)に応じて使い分けることで、乾燥地への適応力が向上。
石灰質耐性 V. berlandieri系台木が導入され強アルカリ土壌でも生育可能に ラ・マンチャのpH8以上の土壌にも適応。
乾燥耐性 一部台木(110R、140Ruなど)は乾燥・痩せ地に強い 水分保持の少ない場所でも根の吸水効率が高い。
初期生育の安定性 接ぎ木苗は発根・初期成長が早く、初期管理が容易 自根よりも活着が早く、病害耐性も高い。
生育速度と収量制御 台木により樹勢・収量の調整が可能に 高収量・低収量・バランス型など、目的に応じて選べる。

ラ・マンチャの栽培面積は広大ですが、DO La Mancha として造られるワインはそれほど多くないのでは?

栽培面積と実際のD.O.表記ワイン生産のギャップ

項目 内容
D.O. La Mancha 登録栽培面積 約160,000〜170,000ha(スペイン最大)
D.O.表記で出荷されるワイン おおよそ全体の20〜30%前後(年度により変動)
非D.O.出荷(バルク・VT・Vino) おおよそ50〜60%前後。EU向け安価ワインや混醸用
蒸留酒用(主にブランデー原酒) おおよそ20〜25%前後。特にAirén品種が中心

D.O.に登録された畑のブドウであっても、その多くはD.O.名で出荷されないのが実情です。

どうしてD.O.表記が少ないのか?

ラ・マンチャでアイレンが主要な品種になったのはいつ頃からですか?

Airén(アイレン)がラ・マンチャ地域で主要品種として広く普及したのは、20世紀前半〜中頃です。 特にフィロキセラ禍(ラ・マンチャでは1920年代が中心)以降の再植栽期と、戦後の協同組合化を通じて爆発的に拡大しました。

アイレン普及の時期

時期 内容
19世紀中頃まで Tempranillo(Cencibel)、Garnacha、Moravia などが主体。白品種はごく一部で、Airénの記録は散発的。
1910〜20年代(ラ・マンチャでのフィロキセラ禍) フィロキセラの被害がこの時期に深刻化。広範囲で台木導入と改植が進み、乾燥耐性・高収量のAirénが植えられる。
1930〜40年代 ラ・マンチャ一帯でAirénの優勢が確立。協同組合設立が相次ぎ、蒸留酒用アルコールやバルクワイン向けの需要に応えて作付が拡大。
1950〜70年代 スペイン最大の栽培品種となり、栽培面積で世界一のブドウ品種に。大量生産による低価格ワイン・ブランデー原料の基盤となる。

なぜAirénが選ばれたのか(普及の背景)

要因 説明
乾燥耐性 少ない降水(年300〜450mm)でも安定した収穫が可能。ラ・マンチャの無灌漑地(secano)に適応。
病害への強さ 葉が大きく分厚く、乾燥によってうどんこ病・べと病が発生しにくい。農薬コストが低く済む。
高収量(低密度でも収量あり) 疎植栽培(1,200本/ha前後)でも1株から最大10〜15kgの収穫が可能。
高アルコール+低酸→蒸留向き 酸は低いが発酵糖度が高く、ブランデー原酒として最適。
栽培・仕立てが簡単 樹勢が強く、栽培経験の少ない農民にも扱いやすかった。

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