ワインエキスパートに教わるワイン入門

ぶどうにおける酒石酸とリンゴ酸の働きとその違い

ぶどうは他の果実と違い、多くの酒石酸を含むことが特徴のひとつです。なぜぶどうはこのように酒石酸を多く含むのでしょうか。

酒石酸が多いことの特徴
ぶどうは果実類の中でも特異的に酒石酸(tartaric acid)の含有量が高く、全酸の 50〜70%程度を占めます。リンゴ酸やクエン酸が主酸となる他の果実(リンゴ、柑橘類など)とは対照的です。酒石酸は、発酵後も比較的安定して残り、ワインのpHや酸味、微生物安定性に強く影響します。
生合成と代謝の特殊性
  • 発生源:酒石酸は、若い果実の初期発達段階で、主にブドウ葉の光合成産物から合成されます。アスコルビン酸(ビタミンC)から派生する経路が主な酒石酸生合成経路と考えられており、詳細な酵素反応や細胞内局在についてはなお研究が続いています。
  • 代謝されにくい:他の有機酸と異なり、呼吸や成熟過程でほとんど分解されないため、成熟期にも比較的高濃度で維持されます。これは、果実内で内在性の酒石酸分解経路がほとんど働かず、酒石酸が主としてカリウム塩として液胞内に隔離されているためと考えられています。
生理学的な意義
  • 浸透圧調整:果実細胞の浸透圧を高め、水分吸収を促す役割を持つと考えられています。
  • 酸化防御:酒石酸は金属イオンと結合(キレート)することで、金属触媒による酸化反応を抑える働きがあると考えられています。
  • 捕食回避説:強い酸味によって未熟果実を食べる動物を抑制し、種子が成熟するまでの保護機構として働いた可能性があります。
進化的視点
Vitis属以外にもアボカドやライチなど、酒石酸を比較的多く含む果実はいくつか知られていますが、その数は限られており、高濃度の酒石酸蓄積は比較的まれな性質と考えられています。
ぶどうでこの性質が維持されてきた進化的理由については、現時点では仮説段階にとどまっており、乾燥・高温環境への適応や、結果的に発酵飲料として有利な酸組成をもたらした可能性などが議論されている段階です。

ぶどう果実には酒石酸だけでなくリンゴ酸も含まれています。なぜこの2種類の酸が共存しているのでしょうか。また、酒石酸とリンゴ酸の比率はどのような意味を持つのでしょうか。

酒石酸とリンゴ酸が共存する理由
  • 異なる合成経路
    酒石酸はアスコルビン酸(ビタミンC)から派生する経路で、果実の初期発達期に主に合成されます。
    リンゴ酸はクエン酸回路の中間体として合成され、光合成で得られた炭素を一時的に貯蔵する役割も担います。
  • 代謝のタイミングが異なる
    酒石酸は分解されにくく、成熟期を通じて比較的安定して残ります。
    一方リンゴ酸は成熟期に呼吸で消費され、気温や日照によって減少量が大きく変わります。
  • 機能の補完関係
    2種類の酸があることで、果実はpHを低く保ちつつ、必要に応じてエネルギー源(リンゴ酸)を利用できる柔軟性を持っています。
酒石酸とリンゴ酸の比率の意味
  • 気候や成熟度の指標
    冷涼条件ではリンゴ酸が多く残り、比率が低くなります。高温条件ではリンゴ酸が減少し、酒石酸優位になります。
    そのため比率は成熟度や栽培環境を示す手がかりになります。
  • 果実の酸味の性質
    酒石酸が多いとシャープでキレのある酸味に、リンゴ酸が多いとフレッシュでやや穏やかな酸味になります。
    比率は果実の風味や味覚バランスを左右する要素のひとつです。

つまり、酒石酸とリンゴ酸はそれぞれ異なる代謝経路と役割を持ち、共存することで果実の発達や環境適応を支えています。その比率は成熟度や環境条件を反映する重要な生理学的指標です。

果実にエネルギー源は必要なのでしょうか。種子の発育のためであれば、リンゴ酸ではなく糖でもよいのではないでしょうか。

果実にエネルギー源が必要な理由
果実の細胞は、発育中も呼吸によってエネルギーを消費しています。特に種子形成や細胞分裂の盛んな時期にはATPが必要で、呼吸の基質として有機酸や糖が利用されます。
糖ではなくリンゴ酸も使われる理由
  • 可逆的な蓄積と消費
    リンゴ酸はミトコンドリアで合成と分解が可逆的に行われ、環境条件や昼夜のリズムに応じてその量を調整できます。これにより、昼間に固定された炭素をリンゴ酸として一時的に貯蔵し、夜間には呼吸基質として再利用することが可能になります。
  • 浸透圧の安定化
    リンゴ酸は陰イオンとして細胞液に蓄積され、浸透圧を高めて水分を取り込みやすくします。糖に加えて有機酸を浸透圧成分として利用することで、電荷バランスや pH 制御を含めた細胞内環境を調整しやすくなり、糖だけで浸透圧を賄う場合よりも代謝上有利になると考えられています。
  • 温度応答性
    気温が高いとリンゴ酸が消費され、果実内部の呼吸熱やpHが調整されます。呼吸で消費されやすく、高温条件で量が大きく変動しやすいため、環境変化への対応に有利です。

果実は種子発育や自身の成長のためにエネルギー源を必要としますが、リンゴ酸は単なるエネルギー貯蔵だけでなく、浸透圧調整や環境応答にも役立つため、糖とは異なる役割を果たしています。したがって、糖だけでは果実の発育や機能を十分に支えられません。

ぶどうは種子が成熟して発芽能力を備えると、果実への糖の蓄積をやめるのでしょうか。

いいえ、やめません。

しくみ
  • 時系列(多くの品種で観察される一般的なパターン):
    1. 種子が生理的成熟に近づき、発芽能力をほぼ獲得する段階
    2. その前後の時期にヴェレゾンが始まり(色づき・軟化・糖蓄積の立ち上がりが起こる)
    3. その後もしばらく糖蓄積が継続し、やがてピークに達してからプラトー/微減に移行する
  • なぜ止まらないか:
    • 実はヴェレゾン以降、篩部(師部)からの糖輸送が最大化し、呼吸が低下して糖が消費されにくくなるため、濃度がさらに上昇します。
    • 蓄積停止の主因は代謝転換・転流能力の低下・果実成長の収束であり、種子成熟そのものは停止スイッチではないからです。
生態的な整合性
  • 散布者へのシグナル設計(生態学的な仮説):発芽可能化とほぼ同じ時期に魅力度(甘さ・色・軟化)を立ち上げ、その後にピークをやや遅らせることで、
    • 未熟期の早食いを抑制しつつ
    • 発芽可能化後の散布時間窓を拡大し
    • 資源配分の効率化を図っている、と解釈するモデルが提案されています(摂食が始まる閾値を想定した“閾値モデル”)。

ヴェレゾンは種子が発芽可能になり、果実が「散布段階」へ移ったことによって起こるのでしょうか。

時間関係
  • 実験的には、種子が発芽能力を獲得する時期とヴェレゾン開始の時期は多くの品種でほぼ重なりますが、トリガーそのものはまだ特定されていません。
  • ヴェレゾン以降に糖の蓄積が本格化して急速に増加し、やがて甘さのピークに達する、という流れは共通です。
    したがって、ヴェレゾンを「散布準備の開始サイン」、その後の甘さのピークを「散布の最盛期」とみなす生態学的解釈が提案されています。ただし、これは現時点では仮説段階のモデルであり、無核品種でもヴェレゾンと糖蓄積が起こることから、種子成熟だけではヴェレゾンを説明しきれないことが示されています。
近接する理由(内的シグナル)
  • 種子成熟に伴い、ABA(アブシシン酸)の増加やオーキシンの低下などのシグナルが生じ、果実が蓄積・着色・軟化モードへ切り替わります。
    これがヴェレゾンの主要なシグナル候補と考えられていますが、トリガーの全体像はまだ研究途上です。
適応的意味
  • この切り替えにより、色・柔らかさ・糖が揃い、散布者(鳥)を誘引する準備が整います。
    発芽可能化の直後から魅力度を立ち上げ、散布機会の時間窓を確保できる点で進化的に合理的です。
注意点(例外)
  • サルタナ(Sultanina / Thompson Seedless)などの無核品種でも、ヴェレゾンと糖の増加は起きています。外生ホルモン処理(例:ジベレリン散布)は必須ではありません。栽培上は粒張り・房作りの目的で用いることがありますが、ヴェレゾン開始の条件ではありません。
  • 種子の存在はヴェレゾンの必要条件ではありません。

ワイン用ぶどうには、酒石酸とリンゴ酸以外にも少量の有機酸が含まれています。それらの酸はどのような役割を持っているのでしょうか。

主な少量有機酸とその役割
  • クエン酸(citric acid)
    果実の初期発達期にやや多く存在しますが、成熟とともに減少します。
    酸化還元バランスや金属イオンのキレート作用に関与し、pHの安定化に寄与します。
  • シュウ酸(oxalic acid)
    微量ながら存在し、カルシウムと結合してシュウ酸カルシウム結晶として沈着します。
    果肉や果皮のカルシウム調整に関与します。
  • コハク酸(succinic acid)
    果実内ではごく微量ですが、呼吸代謝の中間体として存在します。
    発酵中に酵母が生成するため、ワイン中では酸味やうま味に影響します。
  • アスコルビン酸(ビタミンC)
    抗酸化作用を持ち、成熟期には酒石酸合成の前駆体にもなります。
  • グルコン酸(gluconic acid)
    健全果実ではごく少量ですが、Botrytis cinerea の感染によりグルコースが酸化されると増加します。
    果実自体の生理機能への寄与は小さく、主に病害の診断指標として利用されます。
まとめ
これらの少量有機酸は、
  • pH調整や金属イオンのキレート
  • 細胞代謝の補助や酸化防御
  • 成熟度・病害診断の指標
といった役割を担っています。酒石酸・リンゴ酸ほど濃度は高くありませんが、果実の生理機能や成熟過程の安定化、また品質評価において重要な情報を提供します。

栽培品種に含まれる酒石酸やリンゴ酸などの有機酸は、品種によって比率や総量が異なるのでしょうか。ヴィニフェラとラブルスカでは大きな違いがあるのでしょうか。

品種間差
品種によって有機酸の比率や総量は異なります。
  • 酒石酸とリンゴ酸の比率には品種ごとの傾向がありますが、気候や栽培条件・収穫時期による影響も大きく、単純に「○○はリンゴ酸が多い/少ない」と言い切ることはできません。
  • 総酸量も品種特性と環境条件の組み合わせによって異なり、同じ環境でも酸が残りやすい品種と減りやすい品種があります。
V. vinifera と V. labrusca の違い
  • V. vinifera(ヨーロッパブドウ)
    酒石酸が主要酸で、リンゴ酸は補助的。成熟時には酒石酸優位の酸組成になります。
  • V. labrusca(アメリカブドウ)
    リンゴ酸比率が高く、総酸量も多い傾向があります。熟してもリンゴ酸が多く残るため、酸味が鋭く、特有の「フォクシーフレーバー」と相まって独特の味わいになります。
まとめ
  • 品種間で酸組成は変わる → ワインの酸味やpHの特徴を左右する重要因子。
  • ヴィニフェラとラブルスカでは組成差が大きい → ラブルスカはリンゴ酸が優位で酸度が高くなる傾向が明確です。
このため、栽培地や収穫時期の選択だけでなく、品種選択そのものがワインの酸バランスを決定づける要素になります。

Search Grape Varieties のデータは、あなたが示した「品種間差」とはかなり違っているように思います。
あなたが示したのは、それぞれの品種が伝統的に栽培されてきた産地における特徴であって、純粋な「品種間差」とは言えないのではないでしょうか。

ご指摘のとおりです。私が以前述べた内容は「リースリングは酸が高く残りやすい」「グルナッシュは酸が低めになりやすい」といった伝統的な産地での経験的特徴を指しており、純粋な品種間差を示したものではありません。

一方、grapevinevariety.com のデータは、同じ環境下で複数品種を比較しているため、品種固有の酸組成の差を示す資料として適しています。

grapevinevariety.com の例
品種 酒石酸(g/L) リンゴ酸(g/L) 酒石酸/リンゴ酸比 総酸(g/L)
Riesling 5.20 2.65 1.96 3.38
Chardonnay 6.02 4.68 1.28 5.69
Shiraz 6.20 3.80 1.63 4.24
Grenache 4.98 3.88 1.28 4.01
解釈
  • 同一環境データでは、Chardonnay と Grenache はリンゴ酸比率が高く、Riesling は酒石酸優位、Shiraz はその中間といった「品種間差」が明確に現れています。
  • これに対し「伝統的な産地の特徴」は、気候・収穫時期・栽培法の影響が重なった結果であり、純粋な遺伝的差とは区別する必要があります。
まとめ
  • grapevinevariety.com のデータ → 品種固有の差を比較できる
  • 従来の説明 → 産地条件を含んだ特徴
したがって、ワイン教育や研究においては、両方の視点を明確に区別して扱うことが重要です。

grapevinevariety.com の表で、酒石酸とリンゴ酸を合計した値の約半分しか総酸(g/L)がないのは、なぜでしょうか。

総酸(滴定酸度:Titratable Acidity, TA)は、酸の質量そのものではなく、「アルカリによって中和されたプロトンの総量」を酒石酸として換算した値です。そのため、「酒石酸 g/L」と「リンゴ酸 g/L」を単純に足し合わせた値とは一致しません。

TA は酸の濃度と解離状態に基づいた“中和容量”を示す指標であり、酒石酸やリンゴ酸の g/L を単純に足し合わせた値とは一致しません。