ワインエキスパートに教わるワイン入門
ワイン酵母はどこから来るのか?
「ブドウ果皮にワイン酵母が常在しづらい」というのはブドウ果皮上では繁殖しないということですか?
はい。そのとおりです。
「ブドウ果皮にワイン酵母が常在しづらい」という表現は、ブドウの果皮上でSaccharomyces cerevisiae(一般的なワイン酵母)が自律的に増殖し、安定したコロニーを形成することが難しい、という意味です。具体的には以下のような理由によります。
- 表皮の環境が不利
- ブドウの果皮はワックスやクチクラ(表皮層)に覆われており、水分や栄養分が乏しいため、S. cerevisiae が増殖するには適さない環境です。
- 通常、果皮上に多く見られるのはKloeckera(現在は Hanseniaspora)属, Candida 属, Pichia 属などの非‐Saccharomyces 野生酵母で、これらは低栄養・高酸性環境でも生育できるため、果皮に常在します。
- 発酵開始後の急激な優占
- 圧搾によって糖分・水分が豊富になった「果汁(マスト)」中では、S. cerevisiae が増殖速度・アルコール耐性の高さで他酵母を圧倒し、短期間でコントロール可能な発酵を進めます。しかしこれはマスト内での話であり、果皮上での自立的な繁殖ではありません。
- ワイナリー環境からの再導入
- 多くの場合、ワイナリーの発酵槽や道具に常在する S. cerevisiae が圧搾時にブドウに混入し、主体的に増殖を始めます。つまり「果皮上でずっと暮らしていた」わけではなく、「発酵条件が整った瞬間に急増する」という動態です。
したがって、外観上健全な果粒の果皮だけに着目すれば、「果皮上で Saccharomyces cerevisiae が自立的に増殖し、安定したコロニーを形成することはほとんどない」という理解で差し支えありません。
圧搾前のブドウ果皮に存在するワイン酵母は検出されてもごく少数であり、果皮表面だけを栄養源として積極的に増殖しているとは考えにくいとされています。
「設備由来」の酵母が多いという根拠は?
既に何年も稼働しているワイナリーでは、収穫期の前から設備表面にワイン酵母を含む多様なバイオフィルムが形成されており、清掃後であっても完全な無菌状態ではなく、一定数の酵母細胞が残存していることが報告されています。
新設ワイナリー(ブルゴーニュ、Beverages 2020)
- 開業 1 年目(収穫前)の床・壁・機器(WRE)では、Illumina MiSeq 解析で Saccharomyces 属は 0.1–1 % と極微量。
- 初年度の自然発酵後、タンク内で優占した特定株(P1 株など)が翌年以降 WRE に定着し、分離株の 2–10 % を占めるようになった。https://www.mdpi.com/2306-5710/6/1/9
⇒ 新品設備であっても 1 ヴィンテージ分の発酵を経ると S. cerevisiae が機器表面に「常在化」し始めることを示唆。
オーク樽内部バイオフィルム(Microorganisms 2024)
ブドウ果皮側との量的比較
代表的な報告では、完熟果の全酵母数は 10⁴–10⁶ CFU g⁻¹、うち S. cerevisiae の比率は 0.01–1 % 未満とされています。このレンジを前提にすると、1房(≈150 g)あたりの S. cerevisiae は おおよそ 10³–10⁵ 細胞程度という広い範囲で見積もられ、畑条件によって 1〜2 桁は変動し得ます。ここでは議論を単純化するため、下限寄りのオーダー(10²–10³ 細胞/房)を例として用いており、同じ面積で換算すると洗浄後のステンレス表面(数 10〜10³ 細胞 cm⁻²)と同等かそれ以下、というイメージになります。
結論と考察
- クリーニング/サニテーションは log 3(99.9 % 減菌) が目標であり、ゴムパッキンや溶接ビードなど「微小ルーメン」には細胞が残る。
- 面積効果:タンク 10 m²(10⁵ cm²)× 10 CFU cm⁻² でも 10⁶ 細胞。果実側の 10²–10³ 細胞/房を容易に上回る。
- 株選択:設備表面はワイン様環境(pH 3–4、SO₂ 残存)に晒されるため、一般に酸・エタノール耐性の高い株が相対的に生き残りやすいと考えられています。
したがって「ブドウ果皮の酵母の総和が発酵の主軸」という仮説は、収穫初年度の新品設備では成り立つ場面もある一方、多年稼働したワイナリーでは S. cerevisiae を含む常在バイオフィルムが “スターター” として機能し、果皮由来より高い初期接種密度を提供していると考えるのが妥当です。ただし、この寄与率は設備材質や洗浄プロトコル、酵母添加の履歴などによって大きく変動し、定量的な一般則については今後の研究課題とされています。
不確実性・今後の課題
- CFU/cm² → 種同定まで行った研究は依然少なく、設備種別や洗浄プロトコルによるばらつきが大きい。
- メタゲノム解析では相対存在量しか得られず、絶対量の定量には培養・qPCR の併用が不可欠。
- SSR/NGS による 株トレーサビリティ を進めることで、果皮 vs. 設備の寄与率をさらに精緻化できる。
CFU g⁻¹ の意味は?
ここでの CFU g⁻¹ の「g⁻¹」は、単位を表す数学的な表記です。
意味の説明
- CFU は Colony Forming Units(コロニー形成単位)で、「生きていて培養条件下で増殖しコロニーを形成する能力のある微生物の数」を意味します。
- g⁻¹ は「グラムあたり」という意味です。
つまり、CFU g⁻¹ = サンプル 1 グラムあたりの微生物数(コロニー形成可能な微生物数)です。
なぜ「g⁻¹」と書くのか
「g⁻¹」は指数表記の分数です:同様に、「CFU g⁻¹」は「CFU / g」と同じ意味です。
例
たとえば、10⁴ CFU g⁻¹ という場合:1 g のブドウ果皮に1万個の生存し増殖可能な微生物がいるという意味。
ブドウ果皮由来のサッカロミケスが極めて少ないというのは、傷ひとつない健全果を想定しているからでは?
確かに、これまで引用してきた多くの微生態学研究は「外観上健全な果粒」を対象にサンプリングし、果皮の基礎フローラ(epiphytic microbiota)を調べています。そのため損傷果(裂果・虫食い・ボトリティス感染・機械収穫による破砕など)を含めると、S. cerevisiae の出現頻度と細胞数が桁違いに増えることが知られています。以下、健全果と損傷果を分けて定量データを整理します。
- 損傷部位は “局所温室”
- 破れた果皮から漏れた果汁は糖 20 % 以上、pH 3.2–3.8、窒素・ビタミンも豊富で、数時間〜1日で S. cerevisiae が 10⁶ CFU まで増殖可能です。昆虫やハエが媒介し、同一クローンがクラスタ内で増幅しやすいことが示されています。
- 損傷果の割合は畑条件で大きく変動
- 手摘み高品質用ブドウ:裂果・虫害は 1–2 % 以下
- 機械収穫・乾燥年:10 % を超える報告もあり、破砕中に流出する“フリーランジュース”が 4–8 % に達するケースもあります。
従って、ここで挙げた損傷率 3–5 % や増殖速度などの仮定を置くと、平均的なワイナリー搬入ロット 1 t あたりの果皮起源 S. cerevisiae の総数は、おおよそ 10⁷–10⁸ 細胞というオーダーで概算できます。これらの前提には不確実性が大きいため、この値はあくまでオーダー感を示す作業仮説としてご覧ください。
- 設備起源との比較
- 収穫率が高く損傷果が少ない場合は設備由来が優勢、ボトリティス被害年や荒天機械収穫では果皮由来が無視できない量という二面性が見えてきます。
- 研究手法のバイアス
- 多くの基礎研究は「損傷果を除去・洗浄」した表皮を定量 → S. cerevisiae 極微量
- 損傷果を含める野外調査では、上記のように高頻度・高密度が観察される。
- つまり 「極めて少ない」は健全果を前提とした統計であって、損傷果の存在比率を明示しないと議論が混線します。
健全果を手積みで収穫しても、無傷で醸造所に着くことはないのでは?
手摘みでも「無傷」では届かない理由
- 搬送中の自重圧迫(とくに 20 kg 超のダンプビン)で 2–3 % の果粒が破れ、漏汁が底に溜まる。
- ケース・ビンが数年使われると表面常在株が 10¹–10² CFU cm⁻² レベルで残存し、ここからの接触移行が無視できない。
- したがって 「手摘み=完全健全果」ではなく、破粒率と輸送時間しだいで機械収穫と同程度の初期酵母負荷になることもある。
S. cerevisiae の事前増殖を考慮すると、ぶどう由来とワイナリー由来のワイン酵母の比率はどう変わりますか?
- 健全果が主体で破粒も少なく、搬送が迅速な条件では、概念モデルとして S. cerevisiae は設備残存株が果皮由来より 1 : 5〜1 : 10 程度優勢になると想定できます。
- 一方で破粒 10 % 超かつ高温といった条件では、搬送中に果皮起源株が指数増殖し、ぶどう側が一時的に設備由来の10倍以上優勢になるシナリオも考えられます。
- 実際のワイナリーではこの比率が毎年揺らぐうえ、上記の数値はいずれも現時点では直接測定されたデータではなく、文献値と現場感覚を組み合わせた概念モデルとして示しています。
「野生酵母」という用語は非サッカロミケス系酵母を指す場合と、培養酵母ではないサッカロミケス系酵母を指す場合がありますが、ワイナリーに常在するサッカロミケス系酵母は野生酵母と言えるのでしょうか。
結論としては、ワイナリーに常在するサッカロミケス系酵母を「野生酵母」と呼ぶのは、説明として不正確になりやすいので避けたほうがよいです。
- いわゆる自然発酵は、ブドウ果実側の酵母だけでなく、発酵槽・ホース・ポンプ・フィルター・樽など、設備表面に定着した酵母も関与し得ます。したがって「(市販スターターを)入れていない」ことは言えても、そこから直ちに「野生(自然由来)」とは言えません。
- さらに、商業スターターを使用してきた環境では、自然発酵でも商業株や商業株に近縁な遺伝子型が優勢になり得て、商業株由来の集団がワイナリーに「常在」し得ることが示されています。つまり「培養(市販スターター)でない=野生」という二分法は、実態の保証になりません。
- また、酵母を「人が増やしてスターターとして用いる」こと自体は、土着酵母由来でも選抜酵母由来でもあり得る(OIVの定義)ため、「培養」と「市販」を同一視しない整理が必要です。
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- posted : 2025-06-25, update : 2025-12-19
- Author : katabami (Editor) / ChatGPT (Writing Assistant)
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