ワインエキスパートに教わるワイン入門

プレディカーツヴァインに使われるぶどうの最低糖度

プレディカーツヴァインに使われるぶどうの最低糖度がシュペートレーゼやアウスレーゼ等の称号ごとに定められたのはいつですか?

ドイツとオーストリアで“最低糖度(最小モスト重量)”が法的に確定した時期

補足的な経過

  1. 用語自体の歴史
    • 「シュペートレーゼ」は1775年のラインガウ・シュロスヨハニスベルクに起源があり、19世紀末までにはドイツ語圏で慣用されていました。
    • ただし当時は地域慣行に過ぎず、糖度基準は蔵や販売者が任意に設けていただけでした。
  2. 1930年ワイン法(ドイツ)
    • すでに「Kabinettwein」などの語を使用制限する条項はありましたが、数値基準までは規定せず、品質管理の骨格もアルコール度や補糖規制が中心でした。
  3. EU法との連動
    • 1970年のEEC規則(817/70)でモスト重量による分類が加盟国共通の枠組として示され、これを受けて1971年のドイツ連邦ワイン法および1979/1985年のオーストリア連邦ワイン法が整備された。

1971年のドイツのワイン規則(Weinverordnung)にはエクスレ度は書かれていませんが、当時も個々の規定は州ごとで定められたのですか?

もう一度整理します――「いつ・どの文書で“数値”が決まったのか?」

  1. 1969年ワイン法(Weingesetz 1969)――“仕組み”だけを定義
    • 同法は3つの品質階層(Tischwein/Qualitätswein/Qualitätswein mit Prädikat)を創設し、「Prädikat 付きのワインは一定以上の natürlichen Alkoholgehalt(=モスト重量)を要する」という原理を全国で初めて明文化しました。
    • しかし条文には 具体的な °Oechsle 数値はいっさい置かれず、「詳細は連邦政府または州が Rechtsverordnung で定める」と委任する形式でした。
  2. 1969〜71 年ヴィンテージ――州の Herbstordnung が数字を補完
    • 旧来どおり、ラインガウなら Kabinett 70 °Oe、モーゼルなら 67 °Oe など、州令(Herbstordnung)で最低モスト重量が列記され続けます。
    • 1969 法 § 3–4 は、この Herbstordnung を州の裁量で出せる根拠条文として残しました。
  3. 1971年7月1 日 Wein-Verordnung――換算表のみ
    • 1日前に公布された1971年改正ワイン法に対応する「第一実施規則」ですが、付属書1は Oechsle⇄潜在アルコール度の換算表 を載せただけで、Prädikat 別の最低値はここにもありませんでした(私の先の説明で“1971 規則で数値が確定”と書いた部分は誤りでした)。
  4. 1972年5月29日《Erste DVO zum Weingesetz》――全国統一の数値を初めて列挙
    • 1972年の1.DVOで連邦レベルの最小°Oechsle表が整備され、その後の法改正・EU規則の導入を通じて、具体的な数値条件の多くは各g.U.の製品仕様書や州の実施令側に重心が移っていきました。

「旧来どおり」ということであれば、1969年より前に州レベルで各称号の最小糖度は定めていたのは Weinverordnung 1962 になりますか?

ポイントだけまとめると

したがって

州レベルではかなり昔から、称号ごとの最低エクスレ度を設定していたということですか。

各州(ラント)は19世紀に Öchsle 度計が普及して以降、毎年発令する〈Herbstordnung ― 秋期収穫令〉の中で、カビネット・シュペートレーゼなど 称号(Prädikat)ごとの最小モスト重量(°Oechsle)を独自に定めてきました。連邦レベルで数値が一括表にまとめられるのは1972年の第1実施令(1.DVO zum Weingesetz)ですが、それ以前から州の数値表は実務で機能していました。

なぜ“かなり昔”と言えるのか――時系列で整理

時期 主な出来事 州側の動き
〜18世紀 Herbstordnung は収穫開始日やブドウ畑の閉鎖を取り締まる条例として各領邦に存在(例:ラインガウ 1595 年令) 糖度基準はまだ無い
1820 年代以降 フェルディナント・オエクスレが比重計を改良 → 糖度を°Oeで測定可能に 測定義務が徐々に州令へ
1910 〜 1930年代 1930 年帝国(Reichs-)ワイン法:数値を国では決めず「州の Herbstordnung に委任」と明記 多くの州が Kabinett 70°/Spätlese 78° などの下限値を載せ始める(文献例に1930年 Rheingau 林務局裁判記事)
1960年代 連邦 Weinverordnung 1962 も数値を置かず州に委任 例:ラインラント=プファルツ州
Herbstordnung 27 Aug 1965(GVBl. RLP S. 207)で Kabinett・Spätlese 等の下限を設定
1969年新ワイン法 プレディカート体系を全国法に格上げ。ただし数値は「州または連邦実施令で定める」と留保。 州令がそのまま有効
1971年 まだ連邦側に数値表無し 例:ヘッセン州 1971年 Herbstordnung が Kabinett 白 75°/赤 80° などを告示
1972年 1.DVO 初公布 Kabinett 70/73,Spätlese 78,Auslese 86,Beerenauslese 110,TBA 150(Eiswein=BA)
1978年以降 赤白別・品種別の細分化を段階的に追加(別条項や州上乗せ) 表の基準値は据え置き。上乗せは別規定で管理
1995〜2009年 EU 共通市場規則への全面置換,実質的数値は産地仕様書側へ移行 旧 §7 表は形式上削除・凍結,実務は EU+州仕様書に

プレディカートは収穫時期と収穫方法によるスタイルで定められているもので、糖度は後付で最低限の品質の担保のために定められたものですよね。だから、地域や品種による最低糖度が違うのではありませんか?

プレディカートは本来「収穫時期や収穫方法の違いによって生まれるスタイル」を示す名称です。数字(最低°Oechsle)は、そうしたスタイルが形骸化しないよう「十分に熟したブドウから造られているか」を確認するために後から設けられました。したがって地域や品種で熟度の達しやすさが異なる以上、最低糖度が同一でなくても矛盾しません。

1 歴史的背景 ── “スタイル” が先、 “数値” は後

プレディカート名 語義・起源 スタイルの鍵になる収穫操作
Spätlese 1775年にラインガウのシュロス・ヨハニスベルクで偶然遅摘みになったのが出発点 通常より遅い収穫で自然糖度を上げる
Auslese 独語で「選抜収穫」 房あるいは粒を選りすぐって摘む
Beerenauslese/TBA 「粒選り」「干し粒選り」 貴腐や乾燥で極度に糖度が上がった個々の粒を手摘み
Eiswein 自然凍結したブドウの使用 氷点下で収穫・即圧搾

これらの操作はみな「熟度(含糖量)を高める/凝縮させる」手段であり、スタイルそのものが糖度向上を前提にしているという順序関係にあります

2 最低°Oechsle導入の理由

19世紀後半〜20世紀初頭、未熟ブドウを補糖してアルコール度だけを上げた粗悪ワインが横行。
そこで 1930年帝国ワイン法 → 1969/1971年連邦ワイン法と段階的に、

  1. 補糖を禁じるカテゴリー(=プレディカートワイン) を設定
  2. ブドウが本当に熟しているかを数値で保証(最低モスト重量)

という二段構えを採用しました。

3 地域・品種で数字が異なる理由

同じ「遅摘み」「粒選り」をしても得られる°Oechsleが違うため、地域・品種ごとにハードルを調整して初めて“スタイルの均質性”が保たれます。

4 まとめ

現在、称号(Prädikat)ごとの最小モスト重量(°Oechsle)は、各g.U.(PDO) の製品仕様書と、これを補完する州の実施令・連邦 Weinverordnung によって定められています(全国一律の単純な表は存在しません)。
BLE - Geschützte Ursprungsbezeichnungen (g.U.) / geografische Angaben (g.g.A.) für Weine - Anträge

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