ワインエキスパートに教わるワイン入門

ブルゴーニュ地方の広域 AOC

AOC Bourgogne はヨンヌ地区からボジョレー地区までを生産区域に含みますが、歴史的に「ワイン産地としてのブルゴーニュ」は現在と同じ範囲だったのでしょうか。

結論(短く)

同じではありません。歴史的にはコート・ドール中心の狭い範囲が「ブルゴーニュ」として名声を確立し、その後に周辺(シャブリ=ヨンヌ、シャロネーズ/マコネ=ソーヌ=エ=ロワール、ボジョレー地区/ローヌ)を制度的に取り込んで広域化しました。

成り立ち(要点)

  1. 中世〜近世:核はコート・ドール
    修道院やブルゴーニュ公国の保護のもと、ディジョン〜ボーヌ周辺の畑が「ブルゴーニュ」の名声を形成しました。
  2. 18〜19世紀:流通拡大で周辺が結び付く
    ネゴシアンの発展で、北のオセール(ヨンヌ)や南のマコネ、ボジョレーが同一市場圏として「ブルゴーニュ」に接続していきます。
  3. 1930年判決→1937年AOCで法的に枠組み化
    1930年のディジョン裁判所判決を土台に、1937年のAOC認定で広域指定の原型が確定しました。ここでの定義は県・郡レベルで行われ、コート=ドール県・ヨンヌ県・ソーヌ=エ=ロワール県に加え、ローヌ県の「ヴィルフランシュ=シュル=ソーヌ郡」を「ブルゴーニュぶどう栽培地域」として明示しています

まとめ

AOC Bourgogne の仕様書は2017年に改正され、ボジョレー側のコミューンについても、赤・ロゼ・白を色ごとに分けず一体の「地理的区域」として整理されました。なぜこのような再整理(区分の解消)が行われたのでしょうか。

結論(短く)

仕様書は明文で理由を示していません(= 不明)。ただし、条文の構成比較からは、生産区域の明確化(コミューン列挙の統一)と運用の簡素化を目的とした整理と読めます。2011年版で見られたローヌ県側の「白」用コミューンと「赤・ロゼ」用コミューンの分離が、2017年版では統一的なコミューン列挙へと改められています。

仕様書の対照

Gamay 表記はクリュ・ボジョレーの区画から造られるワインに認められていますが、なぜ AOC Bourgogne に組み込んだのでしょう。

制度設計の中核

2011年の改定で、「Bourgogne」の名称に“gamay”の必記を伴う区分が導入されました。対象はボジョレー10クリュの画定区画由来のワインで、Gamay 比率は ≥85%、ラベル上は“Bourgogne”と同じ大きさで“gamay”を表示することが義務づけられました。

なぜ “Bourgogne” の器に入れたのか(制度上の狙い)

Beaujolais-Villages では代替できない点

地理的出自(クリュ区画限定)と“Bourgogne”銘+“gamay”必記という二段の要件が制度目的(出自の明示と市場での差別化)そのものになっており、単に Beaujolais-Villages を使う発想とは設計の目的が異なる。

背景となる地理再編(2011年)

2011年の AOC Bourgogne 仕様書は、赤・ロゼの生産区域としてボジョレー側の一部コミューン(ローヌ県およびソーヌ=エ=ロワール県)を明示し、当該コミューン内の10クリュAOCの画定区画由来のワインについて、名称「Bourgogne」の直下に同寸で「gamay」を必記し、かつ各クリュの仕様書と本仕様書の規定の双方に従う枠組みを整備しました。

AOC Bourgogne aligoté は創設当初ローヌ県ヴィルフランシュ=シュル=ソーヌ郡まで含んでいたようですが、現在の生産区域はヨンヌ・コート=ドール・ソーヌ=エ=ロワールの3県に限定され、ソーヌ=エ=ロワール側のクリュ・ボジョレー該当区画も外れています。なぜ、このように見直されたのでしょうか。

結論(短く)

根拠(現行仕様書の該当点)

どう解釈できるか(最小限)

AOC Bourgogne Passe-tout-grains は歴史的には Gamay を主体に Pinot Noir をブレンドするスタイルでした。Pinot Noir の下限(1/5 → 1/4 → 1/3)は段階的に引き上げられてきましたが、現行の仕様書では栽培面積で Pinot Noir が 30%超、Gamay が 15%超であることを求めるなど、Pinot Noir 主体とも読める書きかたです。現在も実質的に Gamay 主体と言えるのでしょうか。

回答

Bourgogne Passe-tout-grains は、もはや「Gamay 主体ワイン」とは言い切れません。

かつて赤・ロゼ・白のスパークリングを含んでいた Bourgogne mousseux から、ロゼと白が Crémant de Bourgogne として独立した経緯を教えてください。

結論(短く)

経緯(ポイント)

  1. 発泡性ブルゴーニュの歴史的背景
    1939年に生産者組合、1943年に「Bourgogne mousseux」AOCが成立し、ブルゴーニュの発泡ワインの公的保護が始まる。
  2. 高品質志向と制度分化(1960年代〜1975年)
    1960年代以降、高品質の発泡(伝統方式)を制度的に明確化・保護したいという動きが強まり、1975年のデクレで「Crémant de Bourgogne」AOCが創設。白・ロゼの発泡はCrémantとして独立・専用化された。
  3. 残る役割の再定義(1984年)
    その後の見直しで、Bourgogne mousseuxは赤スパークリングのみを対象とするAOCへ再定義。白・ロゼのスパークリングはCrémant de Bourgogneに一本化された。

ブルゴーニュの広域 AOC としての Coteaux bourguignons の位置づけと、Bourgogne Grand Ordinaire (Bourgogne Ordinaire) からCoteaux Bourguignons へ名称が変更された経緯を教えてください。

広域AOCとしての立ち位置

歴史的背景(オルディネールからの系譜)

名称変更の経緯と理由

Coteaux Bourguignons は、かつて「Bourgogne Ordinaire / Grand Ordinaire」と呼ばれた日常消費ワインの後継で、広域ブルゴーニュの基盤AOCとして再定義されたものです。
歴史的に Gamay 主体の“オルディネール”に対し、Pinot Noir など上質品種を含む“グラン・オルディネール/パス・トゥ・グラン”の流れを引き継いでおり、2011年の名称変更で「普通ワイン」という印象を脱し、積極的に名乗れるAOCとして位置づけられました。