ワインエキスパートに教わるワイン入門
貴腐ワインの産地としてのソーテルヌの成り立ち
ガロンヌ川に冷たいシロン川が流れ込むことで霧が発生し、ぶどうの貴腐化が進むと言われますが、シロン川以外に支流はないのでしょうか。
シロン川がもたらす霧の特徴
- シロン川(le Ciron)はピレネー山脈西部の扇状地の北側、高地のランド地方に源を持つ比較的冷たい支流で、森林と湿地の多い地域を約90km 流れた後、バルサック(Barsac)〜プレニャック(Preignac)付近でガロンヌ川(la Garonne)に合流します。
- 秋の収穫期には、一般にシロン川の水温はガロンヌ川よりも数度低く、この温度差と流量の違いによって局地的な蒸発凝結が起こり、霧が発生すると考えられています。
- このとき形成される霧は、
- 微細な水滴が浮遊して白く見える可視的な霧層と、
- その外縁に広がる高湿度の空気層(相対湿度が非常に高い状態)を含みます。
- 貴腐菌の活動には、この湿潤空気層も大きく寄与します。
霧が発生・影響する範囲
- 霧の発生がとくに顕著なのは、プレニャック〜バルサックの合流点を中心とする周辺数km〜十数kmの範囲と考えられています。
- この範囲では次のような分布になります:
- 合流点の南方向ではイケムのあるソーテルヌ(Sauternes)の丘陵地帯にかけて、朝方に霧または高湿度の空気が流れ込みます。
ただしイケムは標高が高いため、霧が谷底のように白く滞留することは少なく、実際には高湿潤状態(目には白く見えないが湿気を多く含む空気)が支配的です。
- 対岸のガロンヌ川沿いにも霧が広がり、ルピヤック(Loupiac)やサント=クロワ=デュ=モン(Sainte-Croix-du-Mont)など、合流点とほぼ同じ流域圏内にある右岸の丘陵地帯にも湿潤な空気が及びます。
- したがって、霧の「中心」はバルサック〜プレニャック付近の合流域であり、ソーテルヌの高台は霧が届いても日中に乾くという「湿潤と乾燥の均衡点」に位置します。
他の支流との比較
- ガロンヌ川には他にもいくつか支流が流れ込みますが、この区間ではシロン川ほど流量が大きく、冷涼な森林・湿地帯を長く流下する支流は他にほとんどありません。
- 多くの支流は流域が比較的乾燥しており、水温もガロンヌと大きくは違わないため、霧が生じても局地的かつ一過性のものにとどまりやすいと考えられます。
- そのため、これらの支流周辺では、貴腐の発達を支えるような「朝の湿潤と昼の乾燥が交互に繰り返される日周期的サイクル」は、シロン川流域ほど明瞭には形成されません。

Délimitations parcellaires AOC viticoles (INAO) - Géoportail
ソーテルヌにイケム(Yquem)のぶどう畑が開かれた当初、ソーテルヌはまだ貴腐ワインの産地ではなかったと思います。
それにもかかわらず、なぜソーテルヌは後に貴腐ワインの産地へと発展したのでしょうか。
イケムがソーテルヌの丘陵に建てられた理由
- イケムの屋敷(Château d’Yquem)は中世(12〜13世紀)に建てられた要塞的領主館が起源です。
当初はワイン生産ではなく、ガロンヌ川およびシロン川の谷を見渡す防衛・支配拠点として築かれました。
- ソーテルヌ丘陵は、
- ガロンヌ川流域の低地を見渡せる眺望
- 洪水や湿地を避けられる安定した高台
- 屋敷の建つ高台の下には小川が流れ、湧水も多く、生活や農業に必要な水を得やすい、領主館を置くには極めて都合の良い地形でした。
- つまり、イケムの立地は最初から「ぶどうの理想地」として選ばれたのではなく、居館と防衛のための高台として選ばれ、のちに農業利用が進んだと考えられます。
ソーテルヌ丘陵でぶどう栽培が広がった背景
- ボルドー南部では、中世末期から近世初期にかけて丘陵地での穀物・果樹栽培が低地より安定していました。
ガロンヌ左岸の平野は洪水や湿害を受けやすかったため、丘陵の南斜面に水はけの良い砂礫土壌(graves)をもつ土地が早くから開墾されました。
- こうした条件は、特に白ぶどうの栽培と辛口白ワインの生産に適しており、ソーテルヌは初期の段階から「上質な白ワインの産地」として発展しました。
- 18世紀以前の記録では、ソーテルヌ産ワインは “sec”(辛口)または “moelleux léger”(わずかに糖分を残した柔らかな酒質)と記されており、貴腐による甘口ワインではなかったことが分かっています。
貴腐ワインへの転換の前提となった「地形的安定性」
- ソーテルヌの丘陵は、シロン川から届く湿潤空気の外縁に位置し、朝に湿気を受け、昼に乾くというバランスの取れた微気候を持っていました。
- このため、辛口ワイン産地としても病害のリスクが低く、安定した品質と収益を確保できる土地でした。
- 経済的な安定が、18世紀後半以降における貴腐という高リスク型生産への転換を可能にした基盤となります。
つまり、もともと「安全に良質なワインを作れる土地」であったことが、後の特化を支えたと考えられます。
イケムは、なぜリスクの高い貴腐ワインの生産へと舵を切ったのでしょうか。
前提:イケムは「挑戦した」のではなく、「挑戦できた」
18世紀末のシャトー・ディケム(Château d’Yquem)は、すでにボルドー地方でも屈指の大規模かつ富裕な領地でした。
この富裕性により、
- 年によって大幅に収量が変動する
- 貴腐化の失敗で収穫を全損する
といった高リスクの生産を経済的に吸収できたことが、まず根本的な条件でした。
自然条件:霧が届き、腐敗に落ちない「安定の外縁」
イケムの主なぶどう畑は標高 60〜80 m 前後の丘陵上にあり、シロン川とガロンヌ川の合流点から南へ直線距離で約 6〜7 km の位置にあります。
この位置は霧帯の中心よりもわずかに外側にあたります。
- 朝には霧や湿潤空気が届き、果粒表面は十分に湿る。
- 昼には風と日射で素早く乾く。
つまり、Botrytis cinerea(貴腐菌)が「腐敗に落ちずに繁殖する」ための時間バランスが自然に保たれる地形でした。
技術条件:暗渠排水による地中環境の安定化
イケムの土壌は、
- 上層:砂礫を含む軽い土(排水良好)
- 下層:青灰色の粘土層(保水性が高く滞水しやすい)という二重構造をもっています
雨が多いとこの粘土層上に水が溜まり、根が酸欠を起こして果皮が裂け、灰色腐敗(貴腐ではない)に傾きやすくなります。
19世紀までに整備された総延長約100 kmの暗渠排水網は、この問題を解決するためのものでした。
経済・社会的契機:北ヨーロッパ市場の嗜好変化
18世紀半ば以降、北欧・ロシア・イギリス市場では、高糖度・濃厚な甘口ワインが貴族階級を中心に流行していました。
ハンガリーのトカイやドイツのラインガウなどで Botrytis 由来の貴腐ワインが知られるようになり、フランスでも注目を集めます。
イケムの当主サリュース伯爵家(Lur-Saluces)は、宮廷や外交を通じてこの嗜好をいち早く察知し、貴腐ワインを高付加価値輸出品として開発する構想を持つに至りました。
つまり転換は「自然条件が導いた偶然」ではなく、貴族的ネットワークと市場情報に基づく経済的判断でした。
経営体制:貴腐ワインを成立させる“長期回転”を維持できた
貴腐ワイン生産には、
- 数回に分けた選果収穫(tries successives)
- 長期熟成・在庫保持(数年単位)が必要です。
これを支えるには常時の雇用労働力と大規模な貯蔵施設が不可欠でした。
イケムでは自領内の労働者・資材・貯蔵庫を自前で確保しており、小規模農家には不可能な長期的経営サイクルを維持できたことが、リスクを「持続可能な投資」に変える決定的な要素となりました。
イケム(Yquem)の成功のあと、ソーテルヌ地区ではほかの生産者も貴腐ワイン造りを始めたのでしょうか。
18世紀末〜19世紀初頭、土地所有の再編が始まる
18世紀末、ソーテルヌ地区では旧貴族領の細分化と都市ブルジョワによる再投資が進みました。フランス革命後の土地売却やワイン輸出の好況を背景に、富裕層が畑を買い取り、近代的経営を導入する動きが広がります。
この動きは、イケムが貴腐ワインで注目されるようになる以前から始まっており、当初の目的は品質の安定した白ワイン(辛口〜中庸の甘味)で収益を上げることでした。
富裕層の投資と経営の多様化
この時期にソーテルヌ地域で名を残した主要な所有者には、貴族系とブルジョワ系の両方が混在していました。
| シャトー |
所有家系・背景 |
投資の性格 |
| フィヨ(Filhot) |
17世紀以来の名家で、革命後も領地を維持 |
伝統的貴族経営、早期から高品質白ワインを輸出 |
| ラフォリ=ペラゲ(Lafaurie-Peyraguey) |
18世紀後半にブルジョワ商人ラフォリ家が取得 |
熟成庫・排水路整備など近代化を推進 |
| ラボー(Rabaud) |
ソーテルヌ丘陵南端の新興地主 |
早期に遅摘み技術を試みたと伝わる |
| レーヌ=ヴィニョー(Rayne-Vigneau) |
19世紀初頭に銀行家ヴィニョー家が購入 |
金融資本によるワイン投資モデル |
これらの家系は、イケムの生産方式を参考にしつつも、それぞれ異なる経営思想をもっていました。共通していたのは、リスクを分散しつつ高付加価値化を目指す姿勢です。
地域的広がり:ソーテルヌの周囲コミューンへの波及
イケムの成功が注目されると、ソーテルヌ地区の生産者も徐々に遅摘み・選果・長期熟成を取り入れ、貴腐化を安定的に狙うようになりました。
この動きはソーテルヌ中心部にとどまらず、北側のバルサック(Barsac)やセロン(Cérons)にも広がります。
当時、バルサックはすでに白ワインの産地として知られ、ガロンヌ川沿いの集散・積み出し拠点の一つでもありましたが、19世紀前半になると、ソーテルヌ(特にイケム)が貴腐ワインで国際的な名声を得たことで、市場では「ソーテルヌ=高級甘口ワイン」というイメージが確立します。
この変化を受け、バルサックの生産者も次第に貴腐化を前提とした造りへ転換し、両地域のスタイルは接近していきました。
19世紀初頭には “Barsac et Sauternes” と併記されたラベルや輸出記録が見られるようになり、やがて商取引では「Sauternes et Barsac」の連称が一般化します。
こうして両地域は、かつての生産規模や流通中心の関係から、共通の貴腐ワイン市場を形成する双極的存在へと発展していきました。
社会的構造の変化:貴腐が“階級横断的”な投資対象へ
当初、貴腐ワインは貴族的贅沢の象徴でしたが、19世紀初頭にはブルジョワ地主・商人・銀行家が続々と参入し、「リスクを管理する技術型ワイン経営」として定着します。
イケムはその象徴的存在であり、貴腐ワイン造りは単なる試みではなく、土地・資本・市場を結びつける新しい経営モデルとして地域全体に広がっていったのです。
ガロンヌ川の対岸にあるルピヤックやサント=クロワ=デュ=モンでも、ソーテルヌと同じ時期に貴腐ワインの生産が始まったのでしょうか。
時期のずれ ― 右岸の貴腐化はソーテルヌよりやや後
ルピヤックやサント=クロワ=デュ=モンの丘陵は、シロン川の霧がガロンヌ川を越えて届く位置にありますが、現時点で確認できる文献の範囲では、貴腐ワインの体系的生産が始まるのは19世紀前半以降とみられます。
18世紀の段階でも白ワインが造られていたことは確かですが、少なくとも現在参照できる資料には「貴腐化を狙った遅摘み」や明確な甘口醸造を示す記述は多くありません。
一方で、ソーテルヌでは19世紀前半にはすでに貴腐化を前提とした生産が重要な戦略となっており、右岸の動きはそれに続く形であったと考えられます。
地形・気候の条件 ― 貴腐は成立するが“霧の質”が異なる
- 右岸のルピヤックやサント=クロワ=デュ=モンは、ガロンヌ川を望む段丘状の石灰岩台地(標高おおむね60〜100 m)にぶどう畑が広がっています。
- 秋の朝には対岸のシロン川流域から流れ込む湿潤空気や霧の外縁が達しますが、地形が開放的で日射・風の影響を受けやすいため、高湿状態の持続時間が相対的に短い傾向があります。
その結果、右岸では貴腐菌(Botrytis cinerea)の発生自体は見られるものの、貴腐化の進行が穏やかで、全体として糖濃縮は控えめ/酸は相対的に保持されやすいスタイルが生まれます。
社会的契機 ― 右岸の貴腐化は「模倣」と「市場対応」
19世紀中葉、ソーテルヌが国際市場で名声を確立すると、ガロンヌ右岸の生産者もこれに追随し、輸出市場を狙って貴腐化技術を導入します。
とくに、ルピヤックとサント=クロワ=デュ=モンでは商人や都市資本による所有が増え、ソーテルヌを模範とした甘口ワイン経営が定着しました。
ソーテルヌとバルサックがAOCとして確立されて以降、貴腐ワインの産地としてどのように発展してきたのでしょうか?
制度確立と産地ブランドの確立
- Barsac は 1936年9月11日付の政令、Sauternes は同年9月30日付の政令により AOC として認定されました。
- これらの政令により、「貴腐ぶどうを用いた極甘口白ワイン」という産地固有のスタイルが制度的に保護され、ブランド化の基礎が整いました。
- この法的枠組みは、後の技術革新や市場展開を支える制度的土台となりました。
20世紀前半の困難期
- AOC認定が行われた1930年代は、フィロキセラ禍からの再建を経てなお資本的に脆弱なところへ、世界恐慌や第二次世界大戦・戦後復興期の混乱、輸出市場の縮小などが重なり、生産の安定が難しい時期でした。
- 特に1950〜60年代は、気象条件の年次変動により貴腐が十分に成立する年が限られ、不作年も少なくありませんでした。
- この段階は、AOC制度によって「産地ブランド」は確立したものの、醸造設備や防除技術など現代的な手段がまだ十分に整っておらず、「貴腐ワインを安定して成立させる技術体系」が移行途上にあった時期と位置づけるのが適切だと思います。
技術・市場環境の改善による回復と成熟(1970〜1990年代前半)
- 1970年代以降、伝統的に行われてきた手摘みの複数回選果(tries successives)が、醸造衛生や温度管理の改善とともにより精緻かつ安定的に実施されるようになりました。
- 国際市場では甘口白ワインの需要が一時的に回復し、品質の上昇とブランド価値の再興が見られました。
- 特に1988・1989・1990の「三連良年」は、気象条件と貴腐形成の均衡が理想的に整った象徴的成功例として位置づけられています。
- ただし、1980年代全体が「黄金期」だったわけではなく、1984のような不作年もあり、後半3年間が評価の中心です。
気候変動と市場変化による新たな局面(1990年代以降)
- 1990年代以降、世界的な甘口白ワイン需要の減退と温暖化による気候パターンの変化が重なり、産地は新たな課題に直面します。
- 昼夜温度差の縮小、降雨の時期変動、霧の発生不安定化により、貴腐成立の年次変動が再び拡大しました。
- 同時に、AOC制度の厳格な品質基準(手摘み・最低糖度・収量制限など)が、経済的リスク要因として意識されるようになります。
- 多くの生産者が、「部分的貴腐」や「辛口白」への転換など、柔軟な経営判断を取り入れ始めました。
- 一方で、気象の揺らぎが大きい中でも、2001・2009・2011・2017年などはソーテルヌ全体として高く評価されるヴィンテージであり、近年では 2021〜2023年についてもトップ生産者(とくにイケムなど)を中心に優良年とみなす評価が見られます(ただし評価は生産者や評論家によって差があります)。
現在と展望
- 現在のソーテルヌ地区は、「自然条件が自動的に貴腐をもたらす産地」から、
「気象条件を読み取り、技術・制度・経営判断で補正する産地」へと転換しています。
- 気候リスク・需要変化・制度制約が複合的に作用する中で、貴腐の成立率・収量・品質をどう維持するかが最大の課題となっています。
気候変動が進む現在、ソーテルヌとバルサックでは貴腐形成の自然条件そのものがどのように変化しているのでしょうか。
自然条件の変化
- 霧・結露の発生条件の不確実化
- ソーテルヌとバルサックでは、冷涼な支流シロン川と、より温暖なガロンヌ川との水温差によって秋季の朝霧が生じ、Botrytis cinerea の初期感染に必要な高湿度環境が確保されてきました。
- しかし近年、
- 夜間の放射冷却の弱まり
- 気温上昇による河川水温の変化
- 降雨パターンの季節的偏り
- などが重なり、霧の強さ・頻度・発生時期が年によって大きく揺らぐ状況が増えています。
- 湿潤—乾燥サイクルの変動拡大
- 貴腐形成には「朝の湿潤 → 日中の適度な乾燥 → 夜間の冷却」という緩やかな日内変動が不可欠です。
- ところが近年は、
- 収穫期前後に雨が集中する年
- 晴天が長く続かず乾燥工程が不十分な年
- 逆に高温乾燥が強すぎて貴腐が進まない年など、理想的サイクルを外れるケースが増加しています。
- 2024年のボルドーでは Météo-France が「数十年ぶりの高降雨期」を報告しており、この不規則性が年ごとの貴腐量の差を拡大させています。
- 成熟時期の前倒しと昼夜温度差の縮小
- 気温上昇に伴い、ぶどうの生育ステージが前倒しになり、貴腐形成に最適な果皮構造・糖度・酸度のタイミングが従来の霧のピーク時期とズレる場合があります。
- 同時に、昼夜の温度差が小さくなることで、
- が生じ、初期感染とその後の進行が思うように揃わない年が増えています。
影響の整理
- 初期感染の不安定化:朝の湿潤時間が十分でない年は、貴腐の“感染開始”が遅れる、あるいは局所的にしか進みません。
- 濃縮工程の不足:日中の適度な乾燥と弱風が続かないと、細胞壁崩壊後の水分蒸散が不十分となり、貴腐特有の濃縮効果が弱まります。
- 灰色カビのリスク増大:降雨が連続し、乾燥工程が挟まらない場合、Botrytis cinerea は貴腐ではなく灰色カビとして果粒を破壊する方向に働きます。
人の判断で支える産地”への転換:具体例
自然条件が揺らぐなかで、生産者はより細やかな判断と管理を求められるようになっています。
- 収穫時期・選果のより精密な運用
- 貴腐の進行度や果実の乾燥具合を細かく観察し、パス(複数回収穫)の回数を増やす、あるいは条件が整わない区画は収穫を見送る といった判断が一般化しています。
- 栽培管理の高度化
- 樹冠管理(除葉・枝の整理):過剰な湿潤を避けつつ、貴腐の初期感染に必要な朝の湿度を確保するため、除葉の量と時期を繊細に調整します。
- 下草管理:地表の湿度・温度のマイクロクライメートを維持するため、刈り高を一定に保ち、風通しと湿度のバランスを取ります。
- 植密度調整:密植は風通しを悪化させるため、ソーテルヌでは一般に採用されません。近年はむしろ樹間の確保や列向きの最適化により乾燥の確保を図っています。
- 醸造・施設面での適応
- 収穫量が不安定な年でも品質を維持するため、
- 衛生管理の徹底
- 小ロット発酵への対応
- アッサンブラージュの柔軟化
- など、醸造段階での微調整が増えています。
- 経営・スタイルの多様化
- 気候リスクの増大により、
- 貴腐ワインと並行して辛口白ワインを生産
- 完全な貴腐化が得られない年は中甘口のキュヴェを設定
- といった収益構造の多様化が進んでいます。
辛口白ワインの併産自体は歴史的にも存在しますが、近年はその重要性が増しています。
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