ワインエキスパートに教わるワイン入門

ヴァラエタル・ワインという概念の誕生

カリフォルニアでは19世紀末にはすでに Zinfandel や Riesling といった品種名をラベルに表示したワインが流通していたようですが、確認できる範囲で最古級の記録はいつ頃まで遡れるのでしょうか。

結論から言うと、「ラベルに品種名が載っていた最古級」をどこまで厳密に言うかで、遡れる年が変わります。

というのも、19世紀資料では同じ“品種名”でも、

の3段階があり、③がいちばん強い証拠になります。

「品種名が通用していた」最古級(言及)

Zinfandel は1858年の州祭の場面で、古い綴りで品種名が登場したという内容が、後年の歴史研究・記事の形で伝わるところまで遡れます。ここは「ラベル」ではなく、まず「品種名が社会に現れる」段階です(一次の公式報告書そのものを今回こちらで突き止めた、という意味ではありません)。

Riesling については1870年前後のロサンゼルス地域の新聞でヒットが得られますが、現段階ではOCR由来の一致に留まり、紙面画像で「Riesling」の綴りを目視確認できていません。

「品種名で売っていた」最古級(商業表示)

“ラベル表示があったはず”を強く裏づけるのは、業界紙の広告や価格表で、品種名が商品名として並び、価格が付くタイプの一次資料です。

確認できる範囲では19世紀末の業界紙広告において、Zinfandel や(Johannisberg Riesling を含む)Riesling 系の表現が品目として列挙され、価格が併記される例があります。

ここが重要で、価格表に載るということは、少なくとも流通・取引の現場では「品種名で注文し、品種名で受け取る」運用が成立していた、という意味になります。ラベル表示が“必須”とまでは言い切れませんが、品種名が商品表示に乗る条件は、この時点でかなり整っています。

「ラベル現物で確認できる」最古級(現物ラベル)

ここがいちばん厳密ですが、いちばん詰まりやすい段階でもあります。

Zinfandel については石版印刷会社系のラベル資料の整理の中で、酒商(Baer & Germain)に関連する「Zinfandel」表記ラベルが1880–1890年頃(推定)に位置づけられているという二次整理があります。現物画像で品種名が判読できるという意味では、これが現時点で押さえられている強い候補です。

一方で、「1883年製造の Napa Valley Wine Company の Zinfandel ラベルが最古級」という言及もしばしば見られますが、今回の確認範囲では当該ラベル画像のアーカイブIDまで確定できていません。したがって、「可能性として重要」ではあるものの、ここを断定の根拠にはしません。

Riesling については19世紀の「現物ラベル画像」を公的アーカイブから確実に押さえるところまで到達できていません。ただし、②の商業表示(1884年の価格表広告)まで来ている以上、19世紀末にはラベル表示へ移行していった可能性は十分あります。ここは推測で埋めず「未確定」として残し、大学図書館のラベル・コレクションや州立の歴史資料、印刷会社アーカイブで詰めるのが正攻法です。

同時期に、Zinfandel や Riesling 以外の品種名をラベルに表示した記録はないのでしょうか。あわせて、ニューヨーク州など東部についても、ヴィニフェラ以外の品種を含めて調べてください。

19世紀のアメリカでは、Zinfandel や Riesling 以外にも多くのブドウ品種名がラベルや商品名として使われた記録が存在します。特に東部(ニューヨーク州やオハイオ州など)では、ヨーロッパ系ブドウが広まる以前からアメリカ固有の在来種・交雑種を用いたワインが造られ、それらの品種名が商品表示として早期に定着しました。

たとえばオハイオ州シンシナティのニコラス・ロングワースが生産したスパークリング・カトーバ(Sparkling Catawba)やイザベラ・ワインは、1850年代に全米的な評判を呼びました。詩人ヘンリー・ロングフェローが1854年に『カトーバ酒に寄す(Ode to Catawba Wine)』という詩を残していることからも、「Catawba」という品種名がこの時期すでにワイン銘柄として社会に定着していたことがわかります。

商品表示としての明確な使用例

実際、1850年代後半の新聞広告には「Sparkling Catawba」「Isabella Wine」といった表現が登場し、これら在来系ブドウ品種が明確に商品名として扱われていました。

ニューヨーク州でもコンコードやデラウェアといったブドウが19世紀中頃以降に普及し、ワインにも用いられています。とくにデラウェア種は香り高い白ワインになると評価され、「スパークリング・デラウェア」の名で1860年代末には品評会に出品された記録があります。

また南部では、ノースカロライナ州原産のマスカダイン系品種 Scuppernong が早くから甘口ワインに仕立てられ、19世紀前半にはすでに「Scuppernong Wine」の名で親しまれていました。

西部における品種名表示の広がりと地域差

カリフォルニアでは当初、「California Hock」「California Claret」など欧州産地風の呼称が多く使われ、ラベルや広告に品種名を明示する例は稀でした。しかし1870年代末から1880年代にかけて、品質重視の醸造家たちによって品種名ごとのワイン造りが推進され、徐々に品種名が広告や価格表に現れるようになります。

例えばチャールズ・ウェットモアらは、ブドウ品種の適性に基づく銘柄分類を提唱し、1880年代前半には業界紙の広告に品種名を冠したワイン商品が登場するようになりました。こうした流れのなかで、Zinfandel や Riesling に加えて他のヴィニフェラ品種(例:Chasselas, Traminer, Malvoisie, Cabernet など)も価格表上で独立した項目として扱われ、商品表示への移行が進んでいきます。

地域と系統を越えて──19世紀末の品種名表示の広がり

19世紀末までに、アメリカでは非ヴィニフェラ系の品種(カトーバ、デラウェア、コンコード、ノートンなど)から、ヴィニフェラ系の高級品種まで、幅広いブドウ名が商品表示に使われるようになっていました。東部ではこれらの在来種や交雑種が地域の誇りとして名前を冠し、西部では輸入品種がブランドとして確立されつつありました。

ただし、現存するボトルラベルや印刷物などの一次資料は限られており、当時の品種名表示の実態を明確に裏づけるには、さらなる調査が必要です。東部で使われた「Scuppernong」ラベルの現物や、1870年代の未整理広告類などが新たに発見されれば、歴史的理解が一層深まるでしょう。

現時点で確認できる範囲では、Zinfandel や Riesling 以外の品種も19世紀末までに米国各地でワインの商品名に用いられていたことは確実です。当時の消費者にとって、ブドウ品種名は次第にワインの識別・品質認識の手がかりとして定着しつつあったのです。

アメリカでぶどう品種名をラベルに表示する場合、当該品種が少なくとも51%含まれていなければならないという基準はいつ・どの規定で定義されたのでしょうか。

品種名をタイプ指定として使うなら、当該品種が51%以上という骨格は禁酒法撤廃後に整備された Regulations No. 4(Labeling and Advertising of Wine)で明文化されます。

同規則は1935年12月30日承認、1936年3月1日発効と整理され、Federal Register(1936年4月1日号)に掲載されています。

※ここでの制度語は、今日よく言う “varietal labeling(品種表示)” というより、まず「タイプ指定」の一種として品種名を扱う枠組みです。

1938年改正で「主要な香味・特徴 + 51%以上」が明確化

次に重要なのが1938年8月26日の改正(Regulations No. 4, Amendment No. 2)です。
この改正では、Regulations No. 4 の中の「第23節(Sec. 23)」が、ブドウ品種名をワインのタイプ名としてラベルに表示する条件を定める条文として整理されました。

ここで示された要件は次の2点です。

つまりこの時点で、「品種名をラベルに使うなら、味や香りの中心がその品種であり、かつ使用比率も過半であること」という考え方が、条文の形ではっきり示されたことになります。

1978年に原則が「75%以上」へ

その後、品種名表示を「消費者が中身をより確実に推定できる」方向へ寄せる政策判断の下、1978年8月23日(T.D. ATF-53)の大改正で、品種名表示の原則が75%以上へ引き上げられます。

ただし、51%以上は消えたのではなく、例外として制度内に残ります。現在の連邦規則(27 CFR § 4.23)でも、

という二段構造になっています。

フランク・スクーンメーカーはヴァラエタル・ワイン(品種名表示ワイン)を広めた人物として有名ですが、彼が活動していた当時、品種名表示のワインはまだ一般的ではなかったのでしょうか。

スクーンメーカーが活動を強めた禁酒法撤廃後(1930年代後半〜)の米国では、品種名表示の例は禁酒法以前にも存在したものの、稀で不統一だったと整理されています。

フランク・スクーンメーカー(Frank M. Schoonmaker)は禁酒法撤廃後の米国で影響力を持ったワイン著述家・評論家であり、同時に東海岸側のワイン商(ブローカー/流通)としても重要な役割を担った人物です。Jancis Robinson の整理では、彼は1936年に Frank Schoonmaker Selections を開始し、1939年に全米を回って流通に値する米国ワインを探し、カリフォルニア以外(NY、OH、DEなど)のワインも含めてカタログ化したとされています。

Jancis Robinson の説明では、スクーンメーカーのセレクションは創業当初から、創業者名→品種→生産者→地域という順でラベリングされていたとされます。

さらに、彼のポートフォリオにはWenteなど複数のワイナリーが含まれ、スクーンメーカー経由で、これらが全国市場に向けて品種名表示ワインを出した初期例になったと位置づけられています。

同時に、当時の米国では、ワインが「burgundy」「chablis」などの外国名(セミ・ジェネリック)で呼ばれることが多く、スクーンメーカーは1930〜40年代に「中身に即した名前で(=使ったブドウ品種に基づいて)呼ぶべきだ」と生産者に働きかけたと説明されています。

1978年の(連邦)規則改正で、品種名表示の要件が 75%以上に引き上げられるまで、51%以上でもヴァラエタル・ワイン(品種名表示ワイン)を名乗れたと思いますが、フランク・スクーンメーカーはどの程度の比率基準を望んでいたのでしょうか。

1978年の規則改正で品種名表示の原則が「75%以上」へ引き上げられるまで、(少なくとも運用上は)「51%以上」でも品種名表示として扱われ得たという前提でよいと思います。

そのうえで「フランク・スクーンメーカーがどの程度の比率基準を望んでいたか」については、私が今回確認できた公開資料の範囲では、スクーンメーカー本人が「最低比率は≥○%」のように数値で明示した一次テキストを突き止められていません。したがって、≥51%・≥75%・100%のいずれを“望んだ”と断定することはできません。

ただし、彼が推した方向性は比較的明確です。スクーンメーカーは禁酒法後の米国で影響力を持ったワイン著述家・評論家であり、同時に流通(セレクション/販売)側からも市場に関与した人物で、セミ・ジェネリック名よりもブドウ品種名で呼ぶこと、さらに産地や生産者名も含めて消費者が中身を推定しやすい表示へ寄せることを強く促しました。

ここから読み取れるのは、彼の関心が「法的ミニマム(≥51%)を満たすか」よりも、「消費者が期待する“その品種らしさ”を裏切らない実質的な品種同一性」に置かれていた可能性が高い、という点です。ただし、それを直ちに「≥75%を望んだ」「100%を望んだ」と数値に言い換えるのは根拠不足になります。

EUでラベルにぶどう品種名を表示する場合の規則ができたのはいつ頃なのでしょうか。

EU(当時EEC)がワインのラベルにブドウ品種名を表示してよい条件を「共同体の共通ルール」として初めて条文化したのは1974年の理事会規則(EEC)No 2133/74です。
この規則はワインおよびブドウマストの記述と表示に関する一般ルールを定めたもので、域内市場の調整を目的としていました。

1974年以前は品種名・地理的名称などの任意表示について、加盟国ごとの国内法・慣行で扱われていました。

ここにはフランスの AOC、イタリアの DOC などの原産地呼称制度における表示実務も含まれており、それぞれの国の規定に基づいて解釈・運用が行われていました。

共同体が後に整備した共通ルールは、こうした国内ルールに大きく依拠し、しかも加盟国ごとにアプローチが異なっていたことが、1989年の統合規則(EEC)No 2392/89の前文で明示されています。

その後も1974年規則の基本構造は短期間で改訂されながらも引き継がれ、1979年規則(355/79)や1989年規則(2392/89)として再整理されました。

これらはいずれも「ワインの記述と表示一般」を共同体共通ルールとして整えるもので、品種名表示が“テーブルワイン一般に無条件に開放された”というものではなく、条件付きで扱われるカテゴリーに限定して共通化していく枠組みとなっていました。

また、共同体レベルで品種名表示の比率要件が整理されていく初期段階では、単一品種名表示について、文献・実務解説の中には「表示品種に強く寄せる運用(結果として100%に近い例が多い)」と説明するものもありますが、共同体レベルの比率要件としては「≥85%」が基準として整理される、という書き方もしばしば見られます。

さらに時代が進む中、2002年の委員会規則(EC)No 753/2002は、1999年の共通市場組織規則(Council Regulation (EC) No 1493/1999)の下で、テーブルワイン、とりわけテーブルワインに地理的表示のあるもの(TWGI)および品質ワイン(quality wine psr)に関する表示・記述の技術的細則を整理しました。

これにより、たとえばTWGIではヴィンテージ表示とブドウ品種名の任意表示が可能となり、その要件として「単一品種は≥85%」などの比率基準が前面化していきます(併記の場合に100%を求める整理とあわせて、比率基準が運用上の標準として明確化される方向)。

その後、2007年に欧州委員会がワインCMO改革案(政策提案)を提示し、消費者の品種志向に対応するため、GI(地理的表示)のないワインについても品種名・ヴィンテージ表示を可能にする方針を明確にしました。これが2008年の改革規則を経て、2009年の実施細則へ接続します。

そして2009年の委員会規則(EC)No 607/2009は、2008年の共通市場組織改革規則(Council Regulation (EC) No 479/2008)の実施詳細を定めたもので、PDO/PGI、伝統用語(traditional terms)、ならびに一定のワイン部門製品のラベリング・提示に関する包括的な実施細則を設けました。併せて、PDO/PGIを持たないワインの品種名・ヴィンテージ表示(いわゆる varietal wines)についても、真正性を担保するための認証・管理要件を加盟国側に求める枠組みを置いています。

これにはワインにおける品種名・ヴィンテージ等の任意表示の技術的要件も含まれています。607/2009の趣旨として、PDO/PGIワインと同様に、PDO/PGIを持たないワインであっても表示の真正性を担保するための認証・管理要件を加盟国に義務づける方向性が明記されています。

アメリカで「ヴァラエタル・ワイン」という概念が生まれたことは、ラングドック・ルシヨンを中心に、フランスだけでなくEUにも大きな影響を与えたと思います。EUがヴァラエタル・ワインの生産に力を入れ始めた時期は、いつ頃でしょうか。

EUが「ヴァラエタル・ワイン(品種名を前面に出す商品設計)」の生産に力を入れ始めた時期を実務の流れで見るなら、起点はフランス南部のラングドック(Pays d’Oc)で、1987年頃に置くのが自然です。

IGP Pays d’Oc(当初 Vin de Pays d’Oc)は自ら「varietal wines を焦点に据えて1987年に登場した」と述べ、さらに「varietal statements が国際市場での主要な消費者シグナルになっている」ことを前提に、その市場に入り込んだ、という書き方をしています。

1987年の立ち上げが「ニュー・ワールド(とくに米国型の品種訴求)の成功に触発された」という説明も、同時代の背景として複数の解説で確認できます。

この「EUにも大きな影響を与えた」という点は、少なくとも二重の意味で言えます。

第一に、Pays d’Ocが「単一品種でわかりやすい」輸出向けワインの巨大な供給地帯として成功し、EU内部の生産者にとって「品種で売る」設計が現実的な選択肢になったことです(評価として、単一品種中心の成功と“理解しやすさ”が強調されています)。

第二に、その市場現実が政策側にも反映され、EUは「単一品種志向」への対応と市場シェア回復を明示しながら、2007年に改革提案で「GIのないワインでも品種名・ヴィンテージ表示を可能にする」方向を打ち出し、2009年8月1日から最終段階が施行されて制度として実装されました。

したがって、質問への答えを端的にまとめると、「生産・商品設計としてEU(域内の主要生産地)がヴァラエタル志向を強く打ち出し始めたのは1987年頃(Pays d’Oc)」であり、その流れが域内で存在感を持つことで、EUレベルでも2007年の改革提案〜2009年8月1日施行を通じて、GIなしワインを含む枠組みに“品種訴求”をはっきり組み込む方向へ進んだ、という整理になります。

いまでもEU–米国ワイン協定の「米国産ワインの品種名表示に75%の最低基準」は有効ですか?

はい。米国産ワインがEU市場で品種名を表示する場合、EU一般の85%ルールではなく、EU–米国ワイン協定(ワイン表示プロトコル)に基づき75%の基準で認められています。

この協定は米国側で75%以上のぶどうであれば品種名を表示できるという米国の基準を、EUに輸入される米国産ワインの表示にも適用する取り決めとして機能しています。

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