ワインエキスパートに教わるワイン入門

1855年の格付け

ジロンド県でワインの格付けが作られた経緯を詳しく調べてください。

1855年のジロンド(ボルドー)県におけるワイン格付け「格付け(Classification officielle des vins de Bordeaux de 1855)」は、単に「シャトー名を列挙したもの」ではなく、当時の歴史的背景と流通・商取引の実態に基づいて、公正かつ効率的に作成されました。その経緯を以下に詳しく説明します。

① 国際的展示会に向けた要請

② ボルドー商工会議所の依頼と業界の対応

③ 分類の内容と対象

④ 作業の速さと完成日

⑤ 後の変遷・修正

ナポレオン3世が求めたのは「最高のフランスの製品」であって、関係者が色々なフランスの名品をリストアップし、そのなかにボルドーワインもあったということなのでは?

はい、その通りです。
ナポレオン3世が求めたのは「フランス各地の優れた産品を博覧会に出品すること」であり、ボルドーワインを名指しした証拠は一次史料にありません。

ジロンド県では、この一般的な要請を受けて、県独自にワインを主要産品として選び、その出品準備の中で格付けが作成されました。

右岸のワインが格付けに入っていないのは、リストを作成した仲買人がボルドー港から輸出されるワインを中心に格付けしていたからと言えますね。カントメルルは仲買人を通さない取引中心だったから最初はリストに載っていなかった。

1855年の格付けが成立した背景を考えると、右岸のワインが格付けに含まれなかったのは、格付けの作成主体である仲買人たちの取引網の外側にあったためだと言えます。

格付けは、ボルドー商工会議所の依頼を受けたボルドーのワイン仲買人組合によって短期間で作成されましたが、彼らは日常的にボルドー港から輸出されるワインを取り扱い、その市場価格に精通していました。そのため、リストに挙げられたシャトーは、国際市場向けの輸出実績があり、仲買人の流通網の中でよく知られた銘柄に集中していたのです。

一方、右岸のサンテミリオンやポムロルのワインは、当時の時点ではボルドー港を通じて輸出されることが少なく、むしろリブルヌ港を起点とした内陸市場向けの取引が主流でした。このため、ボルドーの仲買人にとっては評価対象外であり、格付けに取り上げられなかったというのが実情です。

この構図は、シャトー・カントメルルの事例にも表れています。カントメルルはオー・メドックに位置し、歴史的にも実力あるシャトーでしたが、当時の流通が主に地元直販中心で、仲買人ルートでの取り扱いがほとんどなかったため、1855年の初版リストには掲載されませんでした。これは、仲買人のレーダーに十分に引っかかっていなかったことを意味します。その後、異議申し立てにより万博会期中に第5級として追加されましたが、これは格付けが必ずしも品質そのものではなく、市場流通の可視性や輸出実績に強く依存していたことを象徴する事例です。

したがって、右岸が除外された理由もまた、単に地理的な偏りではなく、当時のボルドーワイン市場における流通構造と評価網の枠組みによる結果と理解すべきでしょう。

仲買人(クルティエ)が階級を定める際の基準としたのは何ですか。また、各級には「参考価格」も設定されていたと記憶していますが、それについても教えてください。

当時はおよそ20〜30名のワイン専業クルティエが 活動しており、日常的にシャトーごとの取引価格を把握していたため、格付けに必要な情報を提供できました。

格付けの唯一の基準は、各シャトーの長年にわたる平均取引価格でした。官能評価や審査は行われておらず、過去数十年にわたり安定して高値で取引されていた実績が評価基準となり、価格帯に応じて1級から5級までの序列が定められました。

作成された格付け表には、各級の価格帯が1トノー(約900リットル)あたりの価格で併記されていました。これらはクルティエたちが蓄積した実勢価格に基づいて算出されました。

実際の作業では、複数のクルティエが取引データと経験を持ち寄り、価格に基づいて分類・序列を決定し、その結果がボルドー商工会議所によって確認され、最終的にパリ万博に提出されました。

1855年リストの冒頭部分を訳してください。

1855年格付表冒頭部分

左ページ:1855年4月18日付 書簡(冒頭部)

第695号
ボルドー取引所
ボルドー、1855年4月18日
ボルドー証券取引所付 商業仲買人 代表および副代表より ボルドー商工会議所の諸氏へ

諸氏へ
今月5日付のご書簡を拝受し、ジロンド県の赤ワイン格付け一覧と、
当地方の優良白ワインの一覧をご依頼いただきました。

ご要望に応えるため、可能な限りの情報を同封し、
添付の表にてお知らせ申し上げます。

右ページ:価格評価と分類の結果(後半部)

以上が、我々の収集した情報の結果であります。

ご承知の通り、諸氏と同様、この格付けがいかに繊細で、反感(感情)を招きやすい問題であるかを理解しております。
そのため、公式な構想としてではなく、最良の情報源に基づく作業を、諸氏のご判断に委ねるものとして提出します。

ご書簡の追伸にお答えする形で、
仮に第1級ワインが 3,000フラン の価値を有すると仮定した場合、
下記のような価格水準になると考えます。

……

諸氏に敬意を表し、謹んで申し上げます。

貴下の忠実なる奉仕者たち
(以下、署名:仲買人たち)

注釈と解釈

文書の構造:
  1. 依頼者:ボルドー商工会議所(1855年万博に出展するためのワイン格付け一覧を準備中)
  2. 回答者:ボルドー証券取引所に所属する商業仲買人たち(Courtiers de commerce)
  3. 目的:市場での取引実態に基づく「ジロンド県の赤ワイン」と「白ワイン」の格付け一覧の作成
  4. 方法論:市場価格(仮定価格:1級=3,000フラン)を基準に他級の相対評価
重要な観点:
  • 格付けの根拠はあくまで商業的評価(主に価格)。品質や歴史的名声だけでなく、販売実績と需要に基づく。
  • 仲買人たちは「最終的判断者ではなく、資料提供者」としての立場を明示。

「格付け」は万博に出品するワインに「箔を付ける」目的もあったのでしょうか?
ジロンド県からは格付けワイン以外のワインも出品されていたようですが……

その通りです。「1855年の格付け」には、万国博覧会で展示するワインに「箔をつける」目的が明確に存在していました。

格付けが生まれた背景と目的

1855年パリ万博は、フランス第二帝政下での国家の威信を内外に示す機会でした。当時のフランスは、農業や工業を含む幅広い分野での世界的評価を獲得し、経済力を誇示することを目標としていました。そのため、各地域から選ばれる展示品には、フランスを代表する最高品質の製品であることを客観的に示す「権威」が必要とされました。

ボルドーワインについては、すでにイギリスなど国際市場で高い評価を受けていましたが、「公式なランク付け」を明確に示すことにより、展示品の価値をより高め、「箔をつける」狙いがあったのです。

「箔をつける」具体的な手法

格付け以外のワインも出品された理由

実際には、1855年万博では「格付けワイン」だけでなく、ジロンド県から多様なワインが出品されていました。なぜなら、

言い換えれば、「格付け」はあくまで出品されるワイン群のなかでも特に高い品質と評判を持つ一群に対して特別に「箔をつける」ために使われましたが、それ以外の地域特産品としてのワインもしっかりと紹介されたわけです。

ムートンが1級になった「1973年格付け」はコンペティションという形ですよね。

経緯の整理 — 「1973年格付け」はなぜ“公募方式”になったのか

年代 主な動き 内容と結果
1959-1962 総全面改訂案(未成立) INAOの専門委員会が全61シャトーを再調査。
3段階制に組み替え、15軒を降格・8軒を新規昇格する案まで作成したが、該当シャトーの猛烈な反発で頓挫The 1961 classification that never was - Decanter
1970-1972 「クラス別に順次見直す」方式へ転換 1855年全体に手を付けるのは不可能と判断し、まず Premiers Crus だけを対象に“出走登録( inscriptions )”を募る案を採択
1973.1-2 募集開始 ①すでに一級だった4シャトー(ラフィット等)は「賛成の書簡」を提出し、
②ムートンが正式に“挑戦者”として応募
1973.02-05 他級への参加打診 二級以下にも「将来の再審査」を提案したが、二級12シャトーは“降格リスク”を理由に全会一致で拒否
1973-06-21 農業大臣シラクの政令 ムートンを Premier Cru Classé に昇格する唯一の改訂を公布。その他は1855年表を存置

ポイント解説

  1. “コンペティション”という形式は事実
    • INAOとボルドー商工会議所は「まず“一級”欄だけを開放する」と決定し、希望者に申請書を出させ、調査団が畑・醸造設備・市場評価を再検証しました。これは「ムートンだけ特例」という批判を避ける政治的配慮でした。
  2. 他シャトーが応募しなかった理由
    • 二級以下にとっては「昇格のチャンス」より「降格のリスク」が大きい――1961年案で降格が具体的に示された苦い記憶が残っており、再審査を拒否しました。
  3. 結果として“1973年格付け”と呼ばれる新表が誕生
    • 実際には一級欄だけを差し替えた別表であり、1855年表そのものを改訂したわけではありません。
    • しかし出版物(例:『Bordeaux et ses vins』)は「1er cru classé en 1973」と年号を付して全5軒を並記したため、「1973年に一級を選び直した」 という誤解が広まりました。
  4. バロン・フィリップの戦略
    • 1961年の全面改訂案では賛同しながらも、降格条項が出た途端に法的措置で案を潰し、自身の昇格のみを実現するルートへ舵を切ったことが回想録などで確認できます。

結論

参照文献

バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドのムートン1級申請が INAO を動かしたのですか?

歴史的背景

INAOを動かした二つのプロセス

年代 申請・働きかけ INAOでの動き 結果
1959-1961
「全面改訂案」
▸ バロンとリシーヌが“5階級→3階級”案を提出
▸ 61軒再調査・15軒降格・8軒昇格を含む
▸ INAO専門委員会が草案を承認寸前まで進める 1961年5月案流出→猛反発・訴訟予告で撤回
1972-1973
「第一級限定方式」
▸ バロンが“まず第一級欄だけ開放”という段階的改訂案を提案
▸ 4軒の既存1級に賛同要請 → 同意取得
▸ INAOは「クラス別再審査」を承認し、実務をボルドー商工会議所へ委託
▸ 公募開始も他級はリスク回避で不参加
1973-06-21 農業大臣シラクの政令でムートンのみ1級昇格。他の格付けは1855表を維持

INAOが動いた主因

  1. 政治・産業圧力
    • ムートンは価格や評価で既に“実質1級”。「制度上の不公平」を是正せよというロビー活動が続いた。
    • バロンはメディア露出と訴訟示唆で行政に圧力をかけ、「解決しないと業界が分裂する」との空気を醸成。
  2. INAOの権威付けニーズ
    • 1960年代のAOC再編期にあり、政府の公的判断が求められる案件としてINAOに持ち込まれた。
    • 全面改訂案は頓挫したが、第一級限定方式は「被害を最小化」する案として受理しやすかった。
  3. 手続き面の前例作り
    • 1855表に公式変更を加えるにはINAOの調査報告 → 農業大臣の政令という新たな行政ルート確立が必要だった。ムートンの申請がそのモデルケースになった。

なぜムートンだけが昇格したか

1855年で格付けされたワインを造っていたシャトーが、所有者が変わっても「Cru Classé」の肩書を使える理由を調べてください。
また、グラーヴやサンテミリオンの格付けは、シャトーで造られる複数のワインの中から特定のワインが選ばれ格付けされていますが、「1855年格付け」に相当するワインはどのように選ばれているのでしょう。
「L'Extravagant」はシャトー・ドワジ・デーヌの最上キュベになると思いますが「Cru Classé」を名乗っていません。

「Cru Classé」の肩書はなぜ所有者が変わっても残るのか

「複数キュヴェを造るシャトー」での格付け対象ワイン

分類 対象の決め方
1855年 当時は一つのキュヴェしか無かったため、「シャトー名=格付けワイン」が暗黙の前提。現在も“Grand Vin”のみが Cru Classé を名乗り、セカンド以下は不可。
グラーヴ(1953/59) 赤・白を別々に審査。両方合格すれば二重に表示可。セカンドは不可。
サンテミリオン(1955→10年ごと改訂) 対象ワインの複数ヴィンテージの官能審査に加え、畑・醸造設備・テロワール・市場での評価・サステナビリティなどの総合的な審査に合格すれば、格付け表示はそのシャトーの第一ラベル(グラン・ヴァン)に限って認められる。セカンドや特別キュヴェには適用されない。Saint Emilion Wine Classification

格付け表示は「①地所に紐づく」「②AOC規定を満たすロットのみ可」「③登録名のキュヴェだけに限定」という三重の制約で運用されている。

「1855年格付けに相当するワイン」はどう選ばれるか

なぜ「L’Extravagant de Doisy-Daëne」は Cru Classé を名乗らないのか

  1. 商標上の優先順位
    • 1855表の登録名は Château Doisy-Daëne。ラベルに「Cru Classé」を書く場合、その名称が主体でなければならない。
    • L’Extravagant は商品名が先頭に来るため、規定通りに並べると視覚的に冗長になる。
  2. 任意表示
    • 法律は「使用可」であって義務ではない。生産者がマーケティング上、特別キュヴェを“単独ブランド”として打ち出すため敢えて省略している。
  3. 生産量・スタイルの特殊性
    • L’Extravagant は0.5〜1 haの遅摘み区画を単独発酵し、残糖200 g/L超という“極甘”仕様。毎年生産されず、公式サイトでも本来のセカンド・ロットではなく別格のマイクロキュヴェとして扱う。格付け表記が無くとも価格・評価が既に確立しているため、実利的メリットが小さい。

「Grand Vin」はシャトーの主力製品として生産量もある程度必要で、品質的には最上級でも生産量が少なすぎては「格付け」対象にはならないと考えていいですか

1855年格付けの場合

観点 実情
制度創設時 各シャトーは実質 1 種類しか瓶詰めしておらず、数量条項なしでも“主力=最上”が自明だった。
現行運用 格付け表記(Cru Classé en 1855 など)は「シャトー名を冠する最上ロット」にのみ使用可。
セカンド・サード、マイクロ・キュヴェは別名義とし、格付けを名乗らないのが慣行。
代表例 シャトー・パルメ「Alter Ego」、レオヴィル系の「Pavillon」など──いずれも格付け表示なし。

※1855年では“最低本数”の数値基準は今日まで設定されていませんが、商業的に流通する量があることが暗黙の前提とされています。

グラーヴ格付け(1953/59)

観点 1959年政令の要旨
赤・白独立審査 同一シャトーでもロットごとに審査(例:ドメーヌ・ド・シュヴァリエ赤=格付、白=非格付)。
数量の事実上の要請 ごく少量しか造られなかったオー=ブリオン白は参加を辞退し、格付け外となった。小規模キュヴェは「代表性不足」とみなされる好例。

サンテミリオン格付け(10年ごと改訂)

条項 意味
「過去10年(1er GCCは15年)の平均で登録畑由来ワインの50%以上を“Grand Vin”として出荷していること」 Grand Vin がエステートの“顔”であることを数量で担保。
量的根拠の提出 ボトル本数・出荷統計を dossier に添付し審査委員会が確認。

申請時点で主力ロットが総生産の半分未満しか無い場合、そもそもエントリー資格を失います。

少量フラッグシップの扱い

ケース 格付け表示 理由
L’Extravagant de Doisy-Daëne なし 生産わずか数百〜2,000本/年。登録名「Château Doisy-Daëne」と別ブランドで展開するため、数量要件とラベル順序の両面で表示せず。
Haut-Brion Blanc 1959グラーヴを辞退 1950年代当時1ha強・数千本規模。「代表ロット」と判断されず。
シャトーの“樽選抜”キュヴェ ほぼ全例で非表示 ブランド差別化と法令(主力ロットに限る)の両面から。

1855年の格付けだけでなく、グラーヴやサンテミリオンの格付けも「ワインの格付け」なのに、「シャトーの格付け」という誤解が広がっている理由は?

この誤解が広まった主な理由は、「ボルドーワイン」と「シャトー」の概念が長年にわたって密接に結びついているためです。具体的な背景を整理すると、以下のようになります。

①「シャトー」=「ブランド」という認識の広がり

ボルドーでは、特に19世紀半ば以降、「シャトー」という言葉が単なる「館や醸造所」を超え、「ワインの銘柄・ブランド名」としての意味合いを強く持つようになりました。実際に消費者は「どこのシャトーのワインか」を意識し、銘柄をシャトー名で呼ぶようになりました。

そのため、本来「特定地域で造られたワイン」のランク付けであるにもかかわらず、人々の頭の中では、自然と「シャトーの評価=格付け」という解釈になっていったのです。

②ラベル表記の影響

ボルドーワインのラベルには、地域名よりも大きく「Château ○○」というシャトー名が記載されます。そのため、「このワインは格付けされたシャトーのワインだ」と理解されやすく、格付け=シャトーという誤解を強化してしまいました。

③メディアや市場の表現による誤解の定着

特に20世紀以降、ワイン専門誌やマーケティング、ワインショップなどが「シャトー単位」で説明を繰り返すうちに、消費者も自然に「シャトーが格付けされている」と認識してしまいました。

実際のところ、1855年格付け、グラーヴ格付け(1959年)、サンテミリオン格付け(1955年以降随時)は、いずれも「特定のワインの格付け」です。ただし、格付けが「シャトー単位」で表示されているために「シャトーが格付けされた」と受け取られやすくなったのです。

④生産単位としてのシャトー制度の浸透

ボルドーの「シャトー」は、畑・醸造設備・熟成庫など、生産から販売までの一貫した管理を示す単位となっており、実質的にそのシャトーが生産するワインの品質管理を担っています。そのため、生産単位としてのシャトーがブランドと直結し、シャトーが格付けされたような錯覚が起こります。

⑤ブルゴーニュとの対比の曖昧さ

ブルゴーニュでは、クリマ(畑)が格付けされていますが、ボルドーでは畑という単位ではなく、生産主体であるシャトーが明確にラベルに表示されています。そのため、地域の違いを理解していない消費者や一部メディアが誤解をさらに広げることになりました。

結論

つまり、「ワインの格付け」であるはずが「シャトーの格付け」と混同されるようになったのは、シャトーがブランドの象徴として市場に浸透していった歴史的・商業的背景が最大の理由と言えるでしょう。

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