ワインエキスパートに教わるワイン入門

リースリングとペトロール香

リースリングにはペトロール香があると言われますが、実際にペトロールに含まれる成分と同じ化合物がリースリングにも含まれているのでしょうか。

同じ成分は含まれていないと考えるのが基本です。

結論として、「同じ成分がそのまま共通して入っているからペトロール香になる」という理解は適切ではありません。リースリングのいわゆるペトロール香(石油・灯油様香)の主要因として広く挙げられるのは、TDN(1,1,6-トリメチル-1,2-ジヒドロナフタレン)という香気成分です。リースリングは熟成に伴ってこの成分が目立ちやすく、典型的な“ペトロール香”として認知されます。

同じ物質ではないのに似て感じる原因を短く言うと、人の嗅覚は化学構造や受容体の反応が近い別の化合物を、似た香りとしてまとめて知覚することがあるためです。近年の嗅覚受容体研究では、TDN に選択的に反応する受容体として OR8H1 が同定されています。

また、従来の研究では (R)-(−)-カルボンや 2-アセチルナフタレンなど、ベンゼン環やナフタレン骨格といった六員環構造を含む疎水性分子に OR8H1 が反応した例も報告されています。これらの結果から、六員環骨格をもつ疎水性分子に対して OR8H1 が親和性を示す可能性が示唆されており(この点は現時点では受容体研究に基づく仮説段階の解釈です)、こうした受容体レベルの特性が “石油・灯油様” という連想が生まれやすい背景の一つだと考えられます。

補足として、TDNはカロテノイド由来の前駆体から熟成過程で生成・増加しやすく、ぶどうの受光や温暖条件、そして瓶熟成の経過や保管温度がTDNの増加と関係するとされています。

要するに、「ペトロール香」は同一物質の存在を示す表現ではなく、TDNを中心とする香りの印象を説明するテイスティング上の比喩と捉えるのが最も誤解が少ないです。

ペトロールは油絵で使われる石油系溶剤を指し、石油や灯油とは違うものです。いわゆる「石油・灯油様」の香りを、なぜ「ペトロール香」と呼ぶのでしょうか。

ワイン用語としての「ペトロール香」は、日本語の一般語としての「ペトロール(石油系溶剤)」を厳密に指して名付けられたものではありません。

むしろ、英語のテイスティング語彙 petrol(特に英国英語で“自動車燃料=ガソリン”を意味する語)が先にあり、熟成したリースリングに現れる石油・灯油様の香りを表す慣用表現として国際的に広がり、日本語でも「ペトロール香」として使われるようになったと理解するのが自然です。

この香りは化学的には主にTDNに関連づけて説明され、研究機関の解説でもpetrol/kerosene様の熟成香として位置づけられています。

リースリング以外の品種や、リースリングを親にもつ交配品種では、ペトロール香は現れないのでしょうか。
また、ペトロール香がほとんど現れないクローンは存在するのでしょうか。

ペトロール香(石油・灯油様)の主要因とされる TDN は、リースリングで特に顕著ですが、若い非リースリング品種のワインでも、検知閾値(約 2〜4 µg/L)を超える例が確認されています。

Sacks らの研究では、1〜3年熟成の品種別ワインでリースリングのTDN平均が他品種より有意に高く、改訂閾値に基づくと28本中27本のリースリングが閾値超えである一方、非リースリングでも69本中7本が閾値超えでした。NCBI

したがって、リースリング以外でも条件次第で石油・灯油様のニュアンスが出る可能性はあるものの、典型的な強さと頻度で話題になりやすいのはリースリング、という整理が妥当です。

交配品種について

親がリースリングであれば、遺伝的要素としてTDN前駆体の蓄積や石油・灯油様の出やすさに影響する可能性は考えられます。ただし、交配品種を体系的に比較して「親リースリングの影響」を一般化できる形で示したデータは、少なくとも私が今回確認できた範囲では明確ではありません。この点は仮説段階として扱うのが安全です。

クローンについて

「まったく現れない」と断言できるクローンが確立している、とは言いにくいです。

しかし、クローンによって石油・灯油様(TDN)の“出やすさ”が変わり得ることは、かなりはっきり示されています。Ziegler らの研究では、同一クローンでも台木が異なるとTDN(自由型/結合型)が有意に変動し、同一台木でも8クローン間でTDNが有意に異なることが示されました。

さらに、遺伝的に房が疎なクローンがTDN形成を促し、官能的にも“petrol”強度が高いことが示唆されています。あわせて、果粒サイズの違いはTDNにあまり効かなかったが、クローン差は効いたという整理が可能であり、実務的には「出ないクローン」よりも「相対的に出にくい/出やすいクローン差」として理解するのが適切です。

すべてのぶどう品種の果実にはカロテノイドが含まれているのでしょうか。

カロテノイドは植物に広く存在する色素で、ぶどうの果実にも含まれます。品種や果皮・果肉の部位、成熟段階、栽培環境によって量は変わりますが、「ぶどうの果実にはカロテノイドが存在する」という理解が一般的です。

リースリングの果実には、カロテノイドが多く含まれているのでしょうか。

結論として、リースリングの果実にカロテノイドが他品種より一貫して「特に多い」とは言い切りにくいです。

実際、Weisser Riesling と Chenin blanc を比較した研究では、同程度の成熟段階においてルテインとβ-カロテン濃度(いずれも総カロテノイドの大きな比率を構成する主要成分)は両者で大きくは変わらないと報告されています。

ただし、ここで重要なのはカロテノイドとTDN(石油・灯油様香)の関係です。
TDNはカロテノイドの分解に由来するC13-ノリソプレノイド系の成分で、収穫時にはほぼゼロに近く、熟成に伴って増加すると説明されています。β-カロテンやルテインがTDN形成の出発点になり得るという整理も示されています。

また、日照や温暖条件がTDN前駆体やTDNの増加と関係するという説明も一般的です。

そして、主要カロテノイド量が他品種と大差が小さく見える場合があっても、TDN(石油・灯油様香)は品種間で大きく差が出ることがあります。

若い品種別ワインの調査では、リースリングのTDN濃度が他品種より有意に高く、検知閾値(約2〜4 µg/L)を超える割合もリースリングで際立つという結果が示されています。

このことは、「カロテノイド(とくにルテイン/β-カロテン)が存在する=TDNが同程度に出る」ではないことを意味します。総量だけでなく、カロテノイドの組成や前駆体の蓄積のされ方、日照・温度、熟成条件が重なることで、リースリングでTDNが特に顕在化しやすいと理解するのが自然です(ここは生成機構にもとづく解釈です)。

ペトロール香が出やすい「日照・温度、熟成条件」とは、どのようなものなのでしょうか。

リースリングのペトロール香(石油・灯油様香)は主に TDN に関連づけて説明され、ブドウ中の前駆体量と熟成・保管条件によって出方が左右されます。なお、日照と温度だけがすべてを説明するわけではない点も押さえておくと安全です。

石油・灯油様香が出やすい「日照・温度(栽培側)」

石油・灯油様香が出やすい「熟成条件(ワイン側)」

ペトロール香は、リースリングの「個性」なのでしょうか。それとも「欠点」なのでしょうか。

ペトロール香は、リースリングの「個性」にも「欠点」にもなり得ます。

この香りの主因として知られる TDN は、熟成リースリングで典型的に語られる一方、濃度が高くなると“petrol”のオフフレーバーと認識され得るためです。

感覚的には、強さと全体のバランスが評価を分けます。

参考として、若いリースリング中で測定されたTDNの官能閾値では、検知閾値(detectable threshold:香りの種類までは分からなくても、何か香りが増えたと気づけるレベル)が約 2〜4 µg/L、認知閾値(recognition threshold:それが“石油・灯油様”だと明確に分かるレベル)が約 10–12 µg/L、拒否閾値(rejection threshold:不快・過剰として否定的な評価が出やすくなるレベル)が約 71–82 µg/L と報告されています。

つまり、TDNが約 2〜4 µg/L 程度では「何か香りがある」程度にとどまり、10–12 µg/L を超えると“石油・灯油様”と認識されやすく、70 µg/L 前後まで強まると多くの飲み手が不快・過剰と評価しやすいことを示しています。

たとえ微量でも「石油・灯油様香」として感じた時点で「欠点」になるのではありませんか。

結論として、たとえ微量でも「石油・灯油様香」と認識できた時点で自動的に「欠点」になる、とまでは言い切れません。

この香りは主に TDN に関連づけて説明され、リースリングが熟成すると現れやすい特徴として広く知られています。学術・専門解説でも、リースリングが「ペトロール香」を示しやすいこと、そしてその主要因がTDNであることが示されています。

なぜ「欠点」と断定されない余地があるのか

理由は、ワイン教育や専門家の評価の中で、この香りが“熟成したリースリングに現れ得る特徴”として長く位置づけられてきたためであり、その枠組みが現在の判断基準にも影響しているからです。

このように、「熟成リースリングにはこの香りが現れ得る」という共有認識が、
同じ香りを

と判断する文化的土台になっている、という構図です。

ですから、この“共有認識”がない飲み手にとっては、微量でも欠点と感じられる可能性は十分あります。

熟成したリースリング以外では、わずかなペトロール香であっても「欠点」とされるのでしょうか。

必ずしも自動的に欠点になるわけではありませんが、熟成したリースリング以外では、わずかなペトロール香(石油・灯油様香)でも欠点寄りに受け取られやすい傾向があります。

理由はシンプルで、ペトロール香(石油・灯油様香)は、熟成リースリングにおいて典型性(個性)の一部として説明されることがある香りであり、ワイン教育や専門的な評価の文脈でもそうした理解が共有されてきた一方、それ以外の品種やスタイルでは典型的な説明語になりにくいためです。

ここに若いリースリングを加えると、整理はさらに明確になります。
若いリースリングは本来、フレッシュな果実香や花の香り、酸の張りが前面に出るスタイルが多いため、石油・灯油様が早い段階からはっきり感じられる場合は、熟成由来の魅力というより、スタイル不一致や過度な印象としてマイナス寄りに受け取られやすいです。

つまりリースリングの中でも、「熟成カーブのどの段階か」によって評価が変わり得ます。

実務的に言うと、判断は次の2点で分かれます。

  1. その品種・スタイルに合っているか
    リースリング以外で石油・灯油様が出た場合、多くの飲み手や専門家はまず「その品種の熟成として自然か?」を確認するため、同じ微量でもマイナス寄りに評価が傾きやすくなります。
    若いリースリングでも同様に、早飲み志向のスタイルで石油・灯油様が目立つと違和感が強くなりやすいと考えるのが自然です。
  2. 単独で目立つか/全体に収まるか
    微量で、他の香りの一部としてごく控えめに感じられる程度なら、欠点と断定されないこともあります。
    ただし、明確に石油・灯油様として前面に出る場合は、熟成リースリング以外(および若いリースリング)では欠点扱いされやすいと考えるのが安全です。

若いうちにペトロール香が出ないように、コントロールすることはできるのでしょうか。

ある程度は可能です。

ただし現実的には、「若いうちに絶対出さない」ではなく、「若い段階で目立ちにくくする/出方を遅らせる」というコントロールになります。

ペトロール香の主要因とされるTDNは、ブドウ中の前駆体の蓄積と熟成・保管条件の組み合わせで現れやすさが変わります。

畑でできること(若い段階のリスクを下げる)

熟成・保管でできること(出るスピードを遅らせる)

温暖な地域のリースリングは、モーゼルやラインガウのリースリングよりペトロール香が出やすいのでしょうか。

一般論としては、温暖な地域のリースリングは、モーゼルやラインガウのリースリングよりペトロール香が出やすい傾向がある、と考えてよいです。

ペトロール香の主要因とされるTDNは、果房の高い日照や温暖な生育条件で前駆体の形成が促されやすく、瓶熟成と保管温度によっても増加が加速し得ると整理されています。

また、これまでの研究をまとめた文献では欧州産リースリングのTDNは通常1〜50 µg/L程度である一方、南半球の温暖・強日照地域、特にオーストラリアでは250 µg/L前後に達し得る(これは典型値というより高い側の上限例で、飲み手や文化的期待によっては過剰と受け取られ得る)とされており、気候条件がTDNレベルに大きく影響し得ることを示す一例になります。

ただし、モーゼルやラインガウでも、斜面方位・反射光・除葉の強さ・暑いヴィンテージなどで果房温度と光環境が高まれば、若い段階から石油・灯油様が目立つ例外は起こり得ます。

したがって、温暖な地域ほどリスクは高まりますが、気候だけで一律に決まるわけではありません。

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