ワインエキスパートに教わるワイン入門

ぶどうは甘い

野生のヴィニフェラは甘いのですか。

野生のヴィティス・ヴィニフェラ(Vitis vinifera subsp. sylvestris)の果実は、現代のワイン用・食用ぶどうの基準から見ると、一般に「甘い」とは言えません。以下、科学的および栽培化の視点から整理してお答えします。

野生ヴィニフェラの果実の甘さ

学術的根拠と文献

  1. This et al. (2006)
    • 野生種は果粒が小さく、糖度が低く、苦味があるため、ヒトによる選抜が始まる以前の段階では食用や醸造には不向きだったと記述されています。
      出典: This, P., Lacombe, T., & Thomas, M. R. (2006). Historical origins and genetic diversity of wine grapes. Trends in Genetics.
  2. Ramos-Madrigal et al. (2019)(古代DNA研究)
    • 野生種と初期栽培種の間で、糖分関連遺伝子(例:SWEET遺伝子群)の発現に差が見られ、これは栽培下での糖蓄積能力の向上と関連する可能性が示唆されています。
  3. OIV文献・形態分類
    • sylvestris 系統は雌雄異株であることが多く、雌株のみに果実が実る。しかも果実は酸味が強く、糖蓄積も不安定。

甘さの進化的意義と栽培化との関係

補足:甘い野生ブドウは存在するか?

鳥はぶどうの甘さに引き寄せられて実を食べるのですよね。
また、人類もかつては野生のぶどうを食用として採取し、醸造にも利用していたと思います。

鳥は「甘い」からブドウを食べるのか?

鳥類(と一部哺乳類)は果実中の糖を検知し、それを摂食の指標として利用します。ただし、鳥が「好む糖度」と、ヒトが「おいしいと感じる糖度」には差があります。

人類は野生ブドウを食べ、醸造もしていたのか?

矛盾の整理:「野生のブドウは甘くない」の真意

これはあくまでヒトが現在「甘い」と感じる基準(ワイン用ぶどう基準)に照らしての話であり、以下のように整理できます:

文脈 甘いか? 補足
鳥類の食性において はい 糖度10–15°Brixでも十分
ヒトの初期利用において はい 特に糖の少ない時代には相対的に貴重な甘味源
現代のワイン用・食用の基準において いいえ 現代の選抜品種(>20 Brix)に比べるとかなり低い
醸造原料としての利用性 条件付き 糖濃度が低くアルコール発酵に不利。酸度が高く保存性は良いが発酵完了には補助が必要だった可能性

まとめ

紀元前6000〜5000年頃のコーカサスでは栽培化が始まっていたのでは?

はい、そのとおりです。紀元前6000〜5000年頃の南コーカサス(現在のジョージアやアルメニアの一部)では、すでにブドウの「栽培化(domestication/cultivation)」が始まっていたと考えられています。

ただし重要なのは、完全に栽培品種化された Vitis vinifera subsp. vinifera が成立していたかという点ではなく、この時期はおそらく「栽培化の初期段階」であり、野生型(sylvestris)と栽培型(vinifera)の間の「移行型」個体群が存在していたとみなすべき段階です。

コーカサスにおける栽培化のタイムライン

時期 主な出来事 証拠
紀元前8000年以降 野生ブドウの採取・果実利用 石器・動植物遺骸・花粉
紀元前6000〜5000年 栽培化の開始段階(初期定住民による選抜・播種) 土器内の酒石酸・花粉分布・DNA断片
紀元前4000年頃 本格的なブドウ栽培・ワイン醸造文化の定着 発酵用クヴェヴリ、剪定具などの農具
紀元前3000年以降 明確な栽培型遺伝子型(vinifera)の広がり 古代DNA解析

「栽培化の開始段階」とは何を意味するか?

  1. 野生型の持ち帰り・播種 → 半栽培化
    • 森や川沿いからブドウを採取してきて、居住地近くに播種
    • まだ交配は自然任せ(開放受粉)
    • 人工選抜(果粒が大きい個体の温存など)が徐々に始まる
  2. 形質変化の始まり
    • 野生ぶどう(Vitis vinifera subsp. sylvestris)で一般的な雌雄異株(雄株・雌株が分かれる)に対し、栽培化の過程で両性花(hermaphrodite flower)をもつ個体が現れ、自家受粉・自家結実が可能な形質が広がっていく。
    • 糖度・果粒サイズ・種子サイズなどの遺伝的差異が徐々に現れる
  3. DNA的には「中間段階」
    • Zhou et al. (2019) や Ramos-Madrigal et al. (2019) のゲノム研究では、紀元前6000〜4000年の個体群は「野生型とも栽培型とも言い切れない中間形質」を持つとされる

醸造との関係

https://www.sci.news/genetics/grapevine-origin-domestication-11764.html では「約1.1万年前にほぼ同時にブドウが栽培化」とされていますが

ご紹介のリンク先(sci.news 経由)によれば、約1.1万年前(11,000年前)に、西アジア(レバント)とコーカサスの2箇所でほぼ同時に栽培化が起こったとしています。これは、2023年に Science 誌で発表された Dong et al. による大規模ゲノム解析の結果に基づいており、3,525点の野生・栽培ブドウのDNAを比較して得られた知見です。

考古学 vs. ゲノム解析:“いつから”のズレ

両者の整合的理解

観点 ゲノム解析(Dong et al.) 考古学的遺物・遺跡
応答対象 遺伝的分化・選抜の始まり 物質文化(器具・遺構・ワイン残渣)
推定年代 約11,000年前(前9,000 BC) 約8,000–7,000年前(前6,000–5,000 BC)
状態評価 初期栽培化段階(形質変化あり) 完全に意図的な栽培・醸造文化確立

まとめ

コーカサスではワイン醸造用に、また西アジアでは主に食用を目的としてぶどうの栽培化が始まったとされていますが、なぜこのような違いが生まれたのでしょう。
自生地による野生ぶどうの違いは影響したのでしょうか?

ご指摘の通り、Dong et al. (2023) をはじめとする近年のゲノム・考古学研究では、コーカサス地域ではワイン醸造を目的とした栽培化が、一方で西アジア(レバント〜メソポタミア)では主に果実の食用を目的とした栽培化が進んだとされています。
これは非常に重要な論点で、以下のように整理できます:

結論概要

この地域差の背景には、主に以下の3つの要因が絡んでいます:

  1. 野生ブドウの地域的遺伝的多様性の違い
  2. 気候・テロワールの違いが熟度や酸度に与える影響
  3. 人間の文化的志向・用途・技術との相互作用

1. 自生ブドウの遺伝的・形態的違い

よって、自生地ごとに「利用しやすい特徴」が異なっていた可能性が高い

2. 気候と栽培目的の適合性

地域 気候特性 ブドウ利用の適性
コーカサス 冷涼湿潤・標高差が大きい 酸が高く、糖の蓄積もしやすい→醸造適性
西アジア 高温乾燥・降水量が少ない 果実の乾燥(レーズン)や生食向き

気候と果実の熟成特性が、用途ごとの選抜圧を分けた可能性が高い

3. 文化的・技術的要因の違い

同じブドウでも、文化的志向によって選抜対象が異なった

ヴィニフェラの栽培化過程で果実が現在ほどの甘さになったのはいつ頃なのでしょう。

この問いは、ブドウの栽培化(domestication)研究の中でも特に核心に近いテーマです。
「いつからヴィニフェラの果実が現在のように高糖度(18–25°Brix)になったのか」という点については、考古学・ゲノム・代謝化学の観点から複合的に考える必要があります。

結論概要

年代別の進化的推移(推定)

※以下の糖度レンジは、現代のデータとモデルに基づく仮説的な推定であり、直接測定値ではありません。
時期 地域 ブドウの糖度(推定) 根拠・特徴
約11000年前(前9000 BC) 南コーカサス・レバント レバント おおよそ10〜15°Brix程度 Dong et al. 2023:野生に近い遺伝子型にも栽培圧がかかり始めたと推定
紀元前5000〜4000年 ジョージア・イラン高原 おおよそ12〜16°Brix程度 McGovernら:酒石酸の痕跡+遺伝子変異の蓄積開始
紀元前3000〜2000年 エジプト・レヴァント おおよそ14〜18°Brix程度 乾燥地で高糖選抜が加速(果実保存・醸造目的)
紀元前1000〜ローマ時代 全地中海域 おおよそ18〜22°Brix程度 選抜品種の拡散。気候・技術・接ぎ木の活用

遺伝的観点からの糖度上昇要因

対象遺伝子群(例)とその機能
遺伝子群 機能 選抜による効果
VvSWEET10, 12 糖トランスポーター 果実中への糖蓄積増大
VvINV(Invertase) ショ糖分解酵素 果実細胞内のグルコース濃度上昇
VvHT(Hexose Transporters) 六炭糖輸送 果皮・果肉間の糖分配制御
MYB10/60系統 フェノール代謝と連携 アントシアニン・糖の協調蓄積調整

Dong et al. (2023)、Zhou et al. (2019)、Vondras et al. (2021) などのゲノム解析では、糖代謝やストレス応答に関わる遺伝子群に、野生型と栽培型で発現量や変異パターンの違いが見られることが示されています。これらのうち一部の遺伝子については別途の機能解析で果実の糖蓄積への関与が示唆されていますが、「どの遺伝子がいつ、どの程度、糖度向上に寄与したか」はまだ仮説段階です。

考古学的補強:高糖度化の物証

気候と農法の影響

温暖化によってぶどうの糖度が過剰に高くなることへの対策として、(甘くない)野生種との交配も行われているのでしょうか。

はい、地球温暖化によって過剰に高まる糖度・アルコール度数への対応策として、「糖度が上がりすぎない」野生種との交配育種も一部で行われています。
ただしその主目的は、糖度抑制単独というよりは、耐暑性・酸保持力・成分希釈力の導入を通じて、間接的にアルコール度数を抑えることです。

以下、技術的背景・実例・課題を整理してご説明します。

背景:温暖化がブドウにもたらす影響

温暖化によりブドウ果実の成熟が加速し、以下の現象が発生しています:

項目 影響
糖度 上昇(25〜30°Brix以上になることも)
分解が早まり、ワインの酸が不足
フェノール成熟 糖度より遅れる(バランス崩壊)
アルコール 発酵後に14〜16% volに達することも

対策としての「野生種交配」

使用される野生種の例
用途 特徴
V. riparia 酸度保持・早熟性 果実が小さく酸が高く、一般に糖酸比が低い。ヨーロッパ系との交配に頻用。
V. amurensis 耐寒・酸保持・ストレス耐性 糖はあまり上がらないが果皮が薄く、冬季の極低温への耐性が高い。一部の系統では乾燥や高温など複数のストレスへの耐性源としても評価されている。
V. berlandieri(台木として) 間接的な影響 地上部への影響として果実成熟遅延やバランス変化を与えることも。

これらの種は、ワイン用交配品種(セレクション)で間接的に「糖度の暴走を抑える」効果を持つ可能性がある。

実際の交配例・育種プログラム

制限・課題

補足:直接的な「糖蓄積遺伝子」への注目

近年では、糖代謝に関わる遺伝子(SWEETトランスポーター、Invertase群など)をターゲットにした分子育種も進みつつあり、「高温でも糖度が上がりすぎない」栽培型の実現が模索されています(参考:Vondras et al., 2021)。

まとめ

野生のヴィニフェラは使われないのですか。

ご質問の「野生のヴィニフェラ(=Vitis vinifera subsp. sylvestris)」が気候変動下での交配・育種に使われていないのかという問いは非常に重要で、以下に結論から申し上げます。

結論:野生のヴィニフェラ(sylvestris)も一部で使われているが、限定的

具体的に使われる理由と特性

目的 sylvestris の特徴と活用可能性
糖度抑制 一部系統で糖蓄積が遅く、果粒が小さいため、果汁濃度が高まりにくい
酸の保持 熟期が遅く、酸の分解が進みにくい系統も存在
フェノロジーの調整 晩熟化傾向の個体を交配に使うことで、暑い年でも成熟期をずらせる
遺伝的多様性の確保 遺伝的なボトルネックを回避し、vinifera 品種群への新たな遺伝子導入元として

使用事例と研究プロジェクト

利点と限界

結語

野生のヴィニフェラ(sylvestris)は、温暖化対応や遺伝的多様性の確保を目的として一部で交配素材として使われていますが、育種の中心ではありません。
むしろ、vinifera 品種群内の在来系統(古代品種)や他種との交雑種(PIWI品種)との比較の中で、補助的かつ戦略的に活用される位置づけです。

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